☆☆☆ お待たせしました。【花岡事件】野添憲治さん並びに花岡平和祈念館等の写真を掲載しました。ぜひご覧ください。☆☆☆

「みなさんこんにちは、ボク笑ニャ(=^・^=)。2階の出窓で日向ぼっこ中でちニャ(=^・^=)」
「今日の写真は10月29日撮影したものです。おかしゃんはPCに相変わらず写真が取り込めず困っています(^_^;)」。

2018-10-29_08-35-02.jpg

朝起きてくると、食堂のテーブルの上にネズちゃんがバラバラに!!「ヒャァ!笑ちゃんとうとうやっちゃった!!」「笑ちゃん、どこ?(^^♪」笑ちゃんは忍法・葉隠の術を使って行方不明。

2018-10-29_11-42-17.jpg

「困った笑ちゃんね(>_<)」仕方なく椅子の肩に胴体だけでシッポのないネズちゃん(不気味)をぶら下げると「やったァ(=^・^=)」。笑ちゃんが忍法・音無しの術で忍び寄り、突然ネズチャンに飛びかかる。「びっくりした!!(>_<)」

2018-10-29_13-03-37.jpg

「おかしゃん、ジャマでちニャ(=^・^=)」

2018-10-29_13-03-39.jpg

「ネズちゃん、動くでニャイでち(=^・^=)」

2018-10-29_12-47-38.jpg

「ウキャー!(=^・^=)」

2018-10-29_12-47-34.jpg

「ツカマエタでち(=^・^=)」

2018-10-29_12-47-32.jpg

「わァ!ネズちゃんはボクのものニャ(=^・^=)ケリケリ!」笑ちゃん大興奮。

2018-10-29_12-47-08.jpg

それではここからは『能代市へ②』を書きますね。

2018-10-05_09-23-14.jpg

ここは国登録有形文化財の【料亭 金勇】です。料亭の建物は外壁等を補修工事中のため見ることができませんでした(>_<)。

隣接して八幡神社境内があります。私は境内にある渟城幼稚園に戦争中通っていました。だから、この料亭付近は子どものころの私の遊び場でした。

2018-10-17_11-38-06.jpg

ここは1階の中広間「満月の間」です。42畳の中広間の天井には、1本の天然秋田杉丸太から撮られた長さ5間(9m)の中杢の板が使われています。機械では挽けず、木挽き鋸で挽いたため、板に鋸で挽いた痕があります。ボランティアガイドの柴田さんから説明を聞いています。

この「満月の間」は、夫の父の法事や同級会等にも使用したことがあります。

2018-10-17_11-49-12.jpg

深い軒先の向こうに手入れの行き届いた日本庭園が見えます。

2018-10-17_11-56-18.jpg

小部屋(5部屋)につなぐ廊下も凝った作りになっています。

2018-10-17_11-58-14.jpg


2018-10-17_11-59-10.jpg

ここは2階の【110畳の大広間】です。舞台の49,5畳を加えると159,5畳の大空間になります。天井が秋田杉全面【杢四畳半仕切】の格天井が特徴です。杢目板は直径2mの天然秋田杉が必要であり、当時、巨大な丸太を集めるのも大変だったそうです。

近年、ここは様々な会合、婚礼、法事等、市民が親しく利用できる場にもなっていました。私の兄や友人のご子息の結婚式もここで行いました。

2018-10-17_12-06-43.jpg

幅5間半の床の間の床柱は【いたや楓】です。見に来た客が撫でるのでピカピカに光ってるとのことでした。

2018-10-17_12-07-15.jpg

香炉の飾り台は【能代春慶塗】です。←能代名物

2018-10-17_12-10-33.jpg

京都から買い求めた花籠。製作者は不明。竹と木の根で編んだ見事な籠です。

2018-10-17_12-11-29.jpg

2階南側の10間にも及ぶ広縁です。ガラスは昔のままのガラスが使われています。

2018-10-17_12-18-45.jpg

【秋田杉伐根の衝立】は、大広間の天井杢板に使われた丸太の伐根。(樹齢約260年、根元直径210㎝)

2018-10-17_12-19-59.jpg

なぜ?能代にこれほど立派な料亭金勇があるのか不思議に思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?

大館市から能代港を経て日本海に注ぐ米代川流域の森は、天然秋田杉の産地として知られています。能代は中世からから木材、特に秋田杉を中心とした交易の盛んな地でした。能代の木材産業は大正時代から昭和初期にかけ隆盛を極め、「東洋一の木都」とまで称されていました。

全国から木材を買い付けに来る商人と商談を進めるため、能代の木材会社が【料亭金勇】で接待したのでした。

料亭金勇は2008年8月閉店し、2009年能代市へ寄贈されています。

2018-10-17_13-00-11.jpg

お昼の後は【風の松原】へ♪ここは私が40代半ばから58歳まで、【風の松原マラソン会】に所属し、仲間とジョギングを楽しんでいたところです。朝5km~10km走ってから勤めに行ってました。当時は体力があったんですね。今は全然ダメです(^_^;)。

2018-10-17_13-37-05.jpg

【風の松原】は、能代市の海岸沿いに連なる砂防林です。その規模は日本最大級を誇り、東西幅1㎞、南浦九総延長は14㎞、面積760ヘクタールの広大な土地に、約700万本の松が植えられています。これらの松は能代市を飛び砂から守るため、江戸時代から植樹されたものです。

2018-10-17_13-38-24.jpg

足元に広がる草木♪

2018-10-17_13-41-49.jpg


2018-10-17_13-42-23.jpg


2018-10-17_13-53-24.jpg


2018-10-17_13-43-25.jpg


2018-10-17_13-54-01.jpg

日本海から吹きつける強風に煽られて松の木は東方向に一様に傾いています。

2018-10-17_13-49-48.jpg

この小さな看板には2016年3月1日、【薬剤注入】「風の松原に守られる人々の会」と書いてあります。松くい虫被害は、「マツノザイセンチュウ」という体長1mmにも満たない線虫が松の樹体内に入ることで引き起こされます。薬剤注入は「マツノザイセンチュウ」が松に入り込めないようにするためです。

「マツノザイセンチュウ」を木から木へ運ぶのが「マツノマダラカミキリ」です。だからこの両方を駆除しないと松が死んでしまうのですね。「マツノマダラカミキリ」の防虫のためには薬が散布されます。

2018-10-17_13-56-26.jpg

松くい虫により松が立枯れするという被害が昭和57年に象潟町の海岸林に確認されてから、現在は県内全域35市町村に被害が広がっています。
能代市では、強風と飛び砂から市民を守ってくれている松を枯らしてはなるまいと、市民と行政が必死に「松くい虫」に立ち向かい、現在700万本の松が守られています。

2018-10-17_14-00-45.jpg

こんな看板がありました。拡大してご覧ください。

2018-10-17_14-02-08.jpg

【風邪の松原】を出て、時間に余裕があったので【秋田県立博物館】に寄りました。【菅江真澄展】が開催されていましたが省略します。

2018-10-17_16-01-50.jpg

田んぼは稲がすっかり刈られていました。新米の季節、秋田の郷土料理キリタンポの季節です。

2018-10-17_16-18-22.jpg

秋の日暮れは早く5時を過ぎると陽が落ちてしまいました。能代市への旅行記にお付き合いいただき有難うございますm(__)m。

2018-10-17_16-49-25.jpg

6月30日、雨が落ちて来そうな曇天をI女性会議の仲間である県議の石川ひとみさんの車に同乗し、大館市へ行って参りました。

2018-06-30_07-35-55.jpg

【木都能代】で紹介しましたが、杉林と杉山がどこまでも続いています。

2018-06-30_07-35-00.jpg

★★★ 秋田【花岡事件】、大館で慰霊祭 ★★★

2018-06-30_09-47-19.jpg


2018-06-30_10-01-03.jpg

戦時中に強制連行された中国人が過酷な労働に耐えかねて決起し、鎮圧されて400人以上が死亡した花岡事件から73年目の6月30日、大館市主催の大館市花岡町の慰霊碑の前で慰霊祭があった。遺族5人を含め、日中両国の関係者約230人が犠牲者の冥福を祈った。

2018-06-30_09-43-22.jpg

慰霊祭では、福原淳嗣市長が事件で死亡した429人分の名簿を慰霊碑に奉納した。今年は日中平和友好条約締結40周年に当たり、福原市長は「過去を振り返るとともに、日中両国の友好を未来に向け発展させていく」と決意を述べた。
※出典 朝日新聞デジタル 2018年7月1日03時00分

2018-06-30_10-25-24.jpg

音楽が奏でられる中、参加者ひとり一人が白い菊の花を霊前に供えました。

2018-06-30_10-57-01.jpg


2018-06-30_10-06-15.jpg


2018-06-30_10-03-29.jpg

★★★ <野添憲治さん>花岡事件 負の歴史に向き合った生涯 「自分も加担していた」 ★★★

ノンフイクション作家の野添憲治さん(昭和8年生れ)は能代市に在住され、同時代を生きてきた夫(昭和9年生れ)は野添さんを尊敬支持し、私も何回もお会いしてました。今年4月8日にすい臓がんで亡くなりました。【花岡事件】の真実を語れる唯一の人、野添憲治さんを失ったことは誠に惜しく思います。

太平洋戦争末期の1945年6月30日、秋田県花岡町(現大館市)の花岡鉱山で、強制連行された中国人986人の大半が過酷な労働と虐待に耐えかねて蜂起した「花岡事件」。419人もの犠牲者を出した事件を長年調べ続けた。
 秋田県藤里町出身。中学卒業後、出稼ぎを経て国有林の作業員に。休日に近隣の村や鉱山などを歩き、話を聞いてメモに書きためた。27歳だった62年、花岡鉱山で事件のことを知った。

2018-11-12_02-44-32.jpg

事件当時、野添さんは国民学校の5年生。ある日、山奥に逃げて捕まった中国人2人に教師の指示で砂やつばをかけた。事件に触れてその時の記憶がよみがえり、2人が花岡鉱山から逃げたと知って体が震えるような衝撃を受けた。「自分も加担していた」との思いが、調査を進める原動力になった。

 2018-11-13_12-55-21.jpg


2018-11-14_23-56-22.jpg

★★★ 「花岡事件」の平和記念館が大館市に完成 ★★★

「花岡事件」の犠牲者を記念して建てられた花岡平和記念館が2010年4月17日、秋田県大館市に開館した。45年を経て日本政府はやっと1945年に発生した「花岡事件」を正視したことになる。日本側の代表で大館市の小畑元市長は、この歴史の事実に次の世代に伝えなければならないと述べた。

2018-11-12_03-23-55.jpg

1945年6月30日夜、強制連行された700人の中国人労働者は、鹿島組(今の鹿島建設株式会社)の残酷な虐待に耐えられず、現場監督を殺害して中山寮近くの獅子ヶ森に逃げた。この蜂起は政府や民間を驚愕させ、出動した2万人の警察が中国人労働者を捕らえて銃殺。翌日に生き残った中国人労働者は全て捕虜になり、あわせて418人が日本で命を落とした。

2018-11-12_03-30-47.jpg


2018-11-12_03-27-37.jpg

花岡平和記念館内の展示に見入る秋田県佐竹知事と国会議員の福島みずほさん。

2018-11-12_02-46-25.jpg

私は8年前、【花岡平和祈念館】が完成して間もなく、I女性会議の仲間とボランティア・ガイド付きでフイールドワークをしています。しかし、記念館や慰霊碑等や鹿島建設の跡地(苛酷な奴隷扱いをした現場である谷の斜面にあった中山寮など)は全て埋め立てられて跡形もなくなっていました。

今、韓国徴用工賠償問題で歴史の事実を無視した発言が横行し、隣国である韓国との仲が険悪になってることに対し、危機感を覚えずに居られません。私たち日本人は朝鮮人、中国人、日本人共に同等の人権を持つ人間であることを肝に銘じる必要があると思います。

2018-10-17_13-43-41_201811120124499c0.jpg

長~いブログにお付き合いいただき有難うございますm(__)m。ではまた(^^)/。

スポンサーサイト




2018-11-11 13:35 | カテゴリ:日記