☆彡 ハンナ・アーレントの写真、遅くなりましたが掲載しました。遅れて申し訳ありますんm(__)m。

★★★  「命輝かせ生きる」=沖縄慰霊の日、未来平和への誓い-中3が詩朗読 ★★★

6月23日、沖縄「慰霊の日」追悼式では浦添市立港川中学3年の相良倫子さん(14)が、曽祖母の戦争体験を踏まえ、平和の誓いを述べた詩、『生きる』を朗読した。

※ 6月23日は「沖縄慰霊の日」です。昭和20年(1945年)6月23日に沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなんで、沖縄県が記念日に定めました。 沖縄戦は昭和20年3月26 日に始まり、約3か月にわたって激しい戦闘となりました。この戦闘で亡くなった日本兵及び一般住民の方々は、一般住民約10万人を含め約20数万人といわれています。

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『生きる』

私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

私は今、生きている。(中略)

七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。

私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、
宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。(後略)

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このブログで続けてヘルマン・ゲーリングのことばを紹介していますが、彼がどういう人物だったのか、【ウィキペディア】から引用しますね。

ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング(Hermann Wilhelm Göring 1893年1月12日 ‐ 1946年10月15日)は、ドイツの政治家、軍人。

第一次世界大戦でエースパイロットとして名声を得る。戦後の1922年にヒトラーに惹かれて国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党。ミュンヘン一揆の失敗で一時亡命生活を送るも、1928年に国会議員に当選し、1932年の選挙でナチ党が第一党となると国会議長に選出された。ナチ党と上流階級の橋渡し役を務めてナチ党の党勢拡大と政権獲得に貢献した。

1933年のナチ党政権誕生後にはプロイセン州首相、航空相、ドイツ空軍総司令官、四ヵ年計画全権責任者、ドイツ経済相、森林長官、狩猟長官など要職を歴任し、ヒトラーの後継者に指名されるなど高い政治的地位を占めた。

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しかし政権内では対外穏健派だったため、対外強硬派のヒトラーと徐々に距離ができ、1930年代終わり頃から政治的影響力を低下させはじめた。第二次世界大戦中にドイツ空軍の劣勢が目立つようになると一層存在感を落とした。

しかし戦後のニュルンベルク裁判では最も主要な被告人としてヒトラーとナチスを雄弁に擁護し、検察が追及する「侵略戦争の共同謀議」や「ユダヤ人絶滅政策」などの容疑を否認した。検察と徹底対決して注目を集めた。1946年9月の判決で絞首刑判決を受けた後に服毒自殺した。

軍における最終階級は全ドイツ軍で最高位の国家元帥 である。

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★★★ 下記のことばは、ニュルンベルク裁判での拘禁中にアメリカ軍ギルバート心理分析官に対して答えたものです。

「もちろん、一般市民は戦争を望んでいない。貧しい農民にとって、戦争から得られる最善の結果といえば、自分の農場に五体満足で戻ることなのだから、わざわざ自分の命を危険に曝したいと考えるはずがない。当然、普通の市民は戦争が嫌いだ。ロシア人だろうと、イギリス人だろうと、アメリカ人だろうと、その点についてはドイツ人だろうと同じだ。それはわかっている。

しかし、結局、政策を決定するのは国の指導者達であり、国民をそれに巻き込むのは、民主主義だろうと、ファシスト的独裁制だろうと、議会制だろうと共産主義的独裁制だろうと、常に簡単なことだ。」

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「意見を言おうと言うまいと、国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に曝す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。この方法はどの国でも同じように通用するものだ。」
※写真は大人しく従順に収容所へ向かうユダヤ人たち。映画『ナチスの犬』よりお借りしました。

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安倍首相が早朝2度「北がミサイルで日本を攻撃してくる」とJアラート(全国瞬時警報システム)を鳴らしだけで、私たち日本人は震え上がってしまった。安倍首相が【専守防衛】を否定し、日本への攻撃意志がない相手でも、法律的には武力行使可能と発言!!攻撃される前に攻撃を=戦争を!!←「戦争で儲ける死の商人」たちがいるんですね。

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★★★ 【全ての戦争はデッチ上げから始まる】 ★★★

【すべての戦争はデッチ上げから始まる】ということをテレビヒストリーチャンネル?で見ました。恐ろしいですね。戦争がはじまれば、何も罪のない普通の平凡な市民が砲弾の中を逃げまどい、死ななければならないのですから。

1939年、ドイツがポーランドに侵攻(第二次世界大戦が始まる)は、「ポーランド兵が小さなドイツ系放送局を襲う」という全くのデッチ上げから始まった。

デッチ上げ演技をするナチ党員も身元や思想心条を厳しく審査された。殺され役には11人の囚人(ドイツ人)にポーランド兵の服を着せ殺し、放送局の殺され役職員には思想犯(ドイツ人)を使った。囚人らは自分がどのような状況に置かれているのか全く分からなかった。上官の合図で一瞬のうちに12人は撃ち殺されデッチ上げは大成功し、ドイツがポーランドを侵攻する正当な理由ができたのだった。

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★★★ 『ゲッベルスと私』 6月16日より岩波ホールほか全国で劇場公開 ★★★

~ナチス政権宣伝相ゲッペルスの秘書だった106歳独女性死亡  最後の生き証人として伝えたかったこと~ 

ナチス政権の国民啓蒙・宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼルさんが、終戦から69年の沈黙を破り、撮影当時103歳にして初めてインタビューに応じたドキュメンタリー。1942年から終戦までの3年間、ゲッベルスの秘書としてナチス宣伝省で働いたポムゼルさんは、「あの時代にナチスに反旗を翻せた人はいない」と話す一方で、「ホロコーストについては知らなかった」と語る。「大戦後、収容所で残虐な行為があったことを知り、非常にショックを受けました」。

「私が罪の意識を感じるのは、ドイツ国民はナチス政権を助けたと非難された時。ドイツ人として私もナチス政権の渦中にいた1人ですし、ヒトラーが独裁政治を遂行していた事実は皆知っていたのですから」  

 「今思うに、 私も卑怯者の一人だったのです」。「秘書だったことは、恥とは思いません。でも誇りに思っていないことも事実です」 と述べた。

近代史最大の戦争犯罪者のひとりであるゲッベルスに誰よりも近づいた彼女の30時間に及ぶ独白を通し、20世紀最大の戦争における人道の危機や抑圧された全体主義下のドイツ、恐怖とともにその時代を生きた人々の姿を浮かび上がらせていく。

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ヨーゼフ・ゲッベルス(1897年10月29日 - 1945年5月1日)は、ドイツの文学者、小説家、政治家)※【ウィキペディア】から引用

「プロパガンダの天才」「小さなドクトル」と称され、アドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の政権掌握と、政権下のドイツの体制維持に辣腕を発揮した。政権下では第3代宣伝全国指導者、初代国民啓蒙・宣伝大臣を務めた。

第二次世界大戦の敗戦の直前、ヒトラーの遺書(英語版)によってドイツ国首相に任命されるが、自らの意志でそれに背き、ヒトラーの後を追って家族とともに自殺した。

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気分転換をしたくてテレビを付けると、ポムゼルさんの映像が…。「ウン何?!」、そのまま、眼が離されなくなった。2016年、4人の監督が手がけたオーストラリア映画です。

約2時間に及ぶポムゼルさんのドキュメンタリーフィルムは、これまでミュンヘン周辺で開催された特別イベントや国内外の映画祭のみで公開されていた。今回、ポムゼルさんの死去を機に、4月6日からドイツ全州で上映される予定だ。

ポムゼルさんは、特に若い人たちにこのフィルムを見てもらいたいと言い残した。

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★★★ 悪は凡庸な顔をしている ★★★

1942年から終戦までの3年間、ゲッベルスの秘書としてナチス宣伝省で働いたポムゼルは、「ホロコーストについては知らなかった」「大戦後、収容所で残虐な行為があったことを知り、非常にショックを受けました」と語る。

「本当に知らなかったの?」ボムゼルさんのことばに私はショックを受けた。1938年にドイツで製作されたベルリンオリンピックの記録映画『オリンピア』の監督はレニ・リーフェンシュタールもホローコストを知らなかったと言っていた。ヒットラー政権の極めて近くにいた女性2人が「知らなかった」と言う。

「ホローコストで600万のユダヤ人が殺されたというのに、アウシュビッツを知らないドイツ人は一対どれほどいたのだろうか?」『アウシュビッチの歯医者さん』では、昨日までユダヤ人を敵視し、ホローコストへ送りつけた多くの人たちが、終戦と同時に「アウシュビッチを知らない」と言いはじめたことがリアルに書かれている。

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★★★ ハンナ・アーレント最後の8分間スピーチ ★★★

「(アイヒマンを)罰するという選択肢も、許す選択肢もない。彼は検察に反論しました。『自発的に行ったことは何もない。善悪を問わず、自分の意志は介在しない。命令に従っただけなのだ』 世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです」。

「アイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となった。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。〝思考の嵐〟がもたらすのは、善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です」。

「私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬように」。

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独裁者の元では、多くの国民が思考停止をしてしまうということですね。考えるのを止めた結果、普通の人間がどんな反人道的な残虐行為でも可能になるとしたら、それはとても恐ろしいことです。

しかし、戦争では正義の名の元にあらゆる残虐行為が行われます。戦場で残虐行為を行う人間が普通の人、平凡な人だという事実を考えると「本当の悪は(思考停止した)平凡な人間が行う悪です」とハンナ・アーレントは真実を述べているんですね。

無関心は大いなる悪であり、大惨事を招く結果となるというハンナ・アーレントの警告に、多様性を認めず、世界の国々が内向きになっている混迷の21世紀を生きる私たちは、真摯に耳を傾ける必要があります。善悪の区別と美醜を見分ける思考の力を失うことのないよう努めなければならないのですよね。

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「わ~い♪さくらんぼだぞ~♪」「美味しそう♪早く食べたいよ~♪」みんな本当に食べたそう!!ですね。友人からとっても甘い秋田県湯沢市の「ほのぼの湯沢のさくらんぼ」が贈られてきました。感謝m(__)m。

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6月27日(水)、今日は雨模様、スロージョギングへ参加するため児童館へ向かいます。雨に洗われて空気が清々しい。その清々しい空気感を撮りたくてパチリ♪

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今日は参加者約30名と少ない。

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児童館の2階を走る。

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狭いので廊下と小部屋を使って走っています。力いっぱい発散できず余り気分が良くない(>_<)。その上、蒸し暑い。

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6月25日(月)晴天、参加者約50名。

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コースの半分くらいがゆるやかな坂道です。

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坂道は心肺及び体に負荷がかかり走りには丁度いいのでしょうが、心房細動がある私にとってはムリ(^_^;)。

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でも今日は橋の大回りコース2周とグランド3周で目標の約3kmを完走しました\(~o~)/。10kmを朝飯前に走っていた昔の夢はいま何処(-_-;)。

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6月22日(金)、DV関係団体の総会があり、朝8時の「スーパー秋田こまち」で急遽上京しました。写真はこまちから見た秋田駅構内です。「今日は駅がお休みですか」と言うくらい、ホームに誰もいない(>_<)。

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こまち12号の椅子に座っりっきりで、東京駅へは4時間。隣の席の中年男性のマナーが良くて、のんびり過ごせてよかったです。

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いつも「ななかまどウォーキング」で眺める田園風景をこまちの車窓よりパチリ。稲がスクスク育っていますよ~(^^♪。

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兄弟の山かな?川が流れ、懐かしい故郷の元風景♪

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車窓から眺める岩手県の風景。何処だろうか?

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ここは渋谷駅、待ち合わせスポット「モヤイ像」の脇です。次から次へと人が続き、タバコの煙を浴びながら、ようやく撮った1枚です。

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駅前の東急プラザ渋谷が解体工事中でした。跡地にはバスターミナルを備えた17階建て新施設が建設されるそうです。

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「あれれ!!私が行く文化村はどっち方向?」横断歩道整理の男性に聞いて、「見えてきた109ビル!」「ふゥ~w」お上りさんは気が焦ります。

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「暑い!」(^_^;)「登りの坂道はコロコロが重いよう!」(>_<)。着いたところは東急文化村です。

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お気に入りの花屋さん(フラワー・ショップと言うんですよね。笑)の素敵なウィンドウでリフレッシュ(^^♪。

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ここへは「ル・シネマ」で映画を観るためきました。『君の名前で僕を呼んで』を見たかったけど、上映時間が合わず、『DARIDA(ダリダ)』を観ることに(^^♪。

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マルティン・ハイデガーの哲学「自分の存在とは何なのか?なぜ生きるのか?」と、ダリダは問い続ける。愛した男性たちの死、そして最終的に自らも命を絶つ。子ども時代に経験したいじめがトラウマになり、人とのコミュニケーションが極端になって、きつい言葉を投げつけ、決別。辛い思いをしてしまう孤独なダリダ。そんな彼女を見てる私もハラハラしてしまった。

華麗且つ凄惨な人生を送ったダリダが伝えた生きる喜びと苦しみ。恋、溢れる熱情。そして永遠の別れ、尽きない涙。人生の歓びと哀しみが歌になって人々の心を打つ…。

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『アモーレ♪アモーレ♪アモーレ♪アモーレ・ミオ♪』中年時代、夫がカラオケで良く歌っていったっけ♪

私は加藤登紀子の『歌いつづけて』(訳詩 加藤登紀子)が好きでよく聴いていました。

Vien でも一人の時や 幕がおりる時は
そばには来ないで
Vien 人生の中で すべてを選んだわ
終りもきめるわ

雨の日に死にたいとか 太陽の下がいい
ベッドの中でしずかにとか 人は言うけれど

歌いつづけていつか 舞台の上で
まばゆいライトをあびて 踊りながら死ぬわ
いろどられた自由を 抱きしめながら
歌に燃やした 私だから (後略)

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ここは八王子市です。駅前のこの虹色の八の文字を見ると、ほっとします。今回は親切な方たちのお蔭で夕方6時過ぎ無事着きました。

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新宿で乗り換え線が分からなく、黒のビジネススーツを着た若い女性に聞くと、乗るべき電車を一電車遅らせてまでスマホで調べてくれて、別ホームから慌てて乗った電車の行先が「高尾」でない!!「高尾行きじゃないですね?」と側の女性に聞くと、十代の男の子がすばやくスマホで調べてくれて、「立川で乗り換えれば大丈夫ですよ」と知らせてくれる(^^♪。

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今夜は「京王プラザホテル八王子」に1泊します。

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ホテルフロント前のホールに飾られた花。

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エレベーターホール。

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お部屋は至って平凡な感じ。禁煙ルームを指定すると空いていたのはこの1部屋だけでした。

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窓を開けると、暮れはじめた八王子駅のホームと街が広がっていました。

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夜はホテルの日本料理<みやま>で、長男とパートナーと3人でディナーを楽しみました。

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6月23日、朝はホテルのレストラン<ル クレール>でバイキング。野菜と魚、タマゴとヨーグルトを中心にして、ご飯とパンは食べません。

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画体の大きなスポーツマンがたくさん来てました。人を除けて写真を撮るのが一苦労(>_<)。

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雨が落ちてきそうな空模様。お昼近くの八王子駅の大銀杏の木がある風景です。昨日の夜ここを通った時、小鳥たちが大騒ぎで鳴いていたので、どんな鳥なのか見たくて写真を撮ったのですが、昼間は小鳥たちはエサを探しに出かけていて、大銀杏の木は静まり返っていましたいました。

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お昼はファミレスで早めのランチは鶏肉とシーザーサラダの盛り合わせ。

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『総会』の帰り、土砂降りの雨に見舞われてしまいました。水道橋駅は急に雨に降られて濡れた人たちでいっぱい。私も折り畳み傘ではジャケットもワイドパンツもカバンも靴の中も濡れてしまいました。トホホ(>_<)。

それから東北新幹線改札を通って休憩所に入ってから、買ったおみやげ袋(ひよこ7個とお弁当)を置き忘れたことに気付き慌てました。5分後戻って見るとありました。丸く太い柱の側に少しよれよれの紙袋がちゃんと。ほっ、助かった~(^^♪。

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東京駅のホームの一番奥?ドン尻にあるのが秋田行き新幹線、「スーパーあきたこまち」のホームです。これに乗って4時間がかりで秋田へ。着くのは23時過ぎです。

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遅い電車なので空いていました。臨席に誰も乗ってこない。バンザ~イ(^O^)/。ゆっくりして帰れる。写真は夕食。200gの大ハンバーガーと低糖質イングリッシュマフイン1個♪←糖質を余分に摂らないよう気を付けているのです。旅行中はコントロールが難しい(*^^)v。

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長~いブログにお付き合いいただき有難うございますm(__)m。ではまた(^^)/。

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2018-07-01 12:25 | カテゴリ:日記