10月12日(日)、<現地フイールド学習>【湯沢市】コース・川原毛地獄→上の岱地熱発電所→院内銀山跡見学へ行って参りました。上の岱地熱発電所はぜひ見学したかったのですが土・日休日のため建物外観のみの見学となりました。また、院内銀山跡地は参加者の体力が配慮され、院内石切り場跡地へ変更されました。

ススキが秋を謳歌してました。バスの中からパチリ。

※ 野の花日記内のすべての写真はクリックすると拡大できます。

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秀麗無比なる鳥海山よ~♪ (秋田県民歌) 私は若き日、山ガールでした。鳥海山にも登りましたよ。

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川原毛地獄は歴史のある温泉地です。江戸時代から昭和にかけて硫黄が採掘されていました。

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川原毛地獄が見えてきました。500万年前、虎毛山の活動によりできた。デイサイト質凝灰岩・・・26万年前高松岳の火山活動があり、そのときでたマグマが地下にあります。

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川原毛地獄山は、青森県(南部)の恐山と富山県(越中)立山と並ぶ日本三大霊地の一つです。

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地下のマグマを熱源として蒸気と硫化水素ガス噴出し、硫黄臭が漂っています。硫黄により岩石が変質し、白っぽく(灰白色)なっています。酸性環境のため川原毛地獄一帯には草木が生えていません。まさに地獄のような景色が作られています。
2005年12月29日、湯沢市の泥湯温泉近くで火山ガスが発生し、窪地にたまった硫化水素のために一家4人が死亡するという悲惨な事故が起こっています。
温泉地では、岩石がボロボロに粘土化し強度が落ち、地すべりが発生しやすいとのこと…納得です。

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噴き出す蒸気と硫化水素ガス。500万年前、26万年前…地球は生き続けて…私たちの命は一瞬の星なんですね。

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川原毛地獄から見る紅葉と青い山脈。(拡大してごらんください。)

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川原毛地獄から振り返れば木々が紅色に染まりはじめて。

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川原毛地獄入口にある三途川橋。渓谷には渓流から40mの高さで橋が架けられています。

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合掌地蔵と延命地蔵が守る三途の川(冥土への路)。お地蔵さんの反対側には「人間ども簡単には極楽浄土へは行かせまいぞ!」と怖~い顔した閻魔大王と泰山大王の二体が鎮座してます。

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合掌地蔵側からV字型の三途川渓谷を覗く。はるか下に川が流れているのが見えますね。

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この断崖絶壁には銀を背負って運んだ細い道があるということでした。

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延命地蔵側から覗き見た渓谷。

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三途川渓谷・周辺探勝案内図。

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道の駅・おがち(雄勝)「小町の郷」で昼食です。

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美味しそうな天丼。

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私は比内地鶏の親子どんぶり(¥1050円也)。ごちそうさま。美味しかったです。

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異人館は院内銀山隆盛時の異人館を模して造られた郷土資料館と駅でした。

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こちらは院内駅。

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以下は院内銀山資料館展示物です。院内銀山の歴史。(拡大してごらんください。)

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明治時代の院内銀山町の様子。慶長11年(1606年)の開山から昭和29年の休山まで350年続き、わが国最大の銀山として栄えていました。最盛期は4,000戸、人口15,000人も暮らしていたとのことです。この銀鉱山は、院内カルデラを形成した火山活動によってできたものと考えられています。

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院内銀山鉱石。伝統工芸の秋田銀線細工は院内銀山が産出した豊富な銀によっているとのことでした。

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江戸時代の貨幣。院内銀山は慶長11年(1606年)発見されてから佐竹藩が直営してました。貨幣がつくられていたのですね。

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院内銀山鉱石。

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坑内から水を抜くための作業をしている様子の模型。

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坑内で使われていたカンテラなのでしょうか。

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銀製百人一首。近年つくられたものとのことでした。

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坑口から院内銀鉱石を運びだす様子の模型。

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銀鉱石の選別にはたくさんの女性たちが働いていたのですね。

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明治天皇が行幸されたという銀山跡には行かなかったのですが、その途中何千というお墓(無縁仏)があり、心霊スポットにもなっているそうです。ガイドさんの「院内銀山のあとに残ったのはお墓だけだった」と言われたことばが印象的でした。

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院内川を渡って。

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院内石で作られた碑。庚申塔。文字が逆に入ってますね。石工が文字を理解しないまま完成したんですね。それをそのまま立てて今に至る。ガイドさんは間違って文字が入ってるから今に伝えられてると仰っていました。ケガのコウミョウですね。
院内石は雨ざらしになり年月を経ると、この塔のようにぼろぼろになるとのことでした。

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道端に群生するイヌタデ(別名アカマンマ)。

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断崖絶壁の上の紅葉。ピンボケで残念(>_<)。

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院内石切場跡。

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ここを通って抜けると。

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凄いですね~。どうやって石を切り抜いたのでしょうか?石は上部、つまり高いところから切り抜いたのだそうです。想像を絶する過酷な労働がされていたのですね。

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何の花か分からないけれど、絶壁の上に生息する植物。植物って強いのですね。

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院内町がカルデラの中にすっぽりはまってることを実感しました。私が立っているバックに石切り場があります。

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金山神社山門。

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神社の狛犬さん。

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金山神社。院内銀山が発見された当初からの鎮守社で、秋田久保田藩から厚く庇護されていました。院内銀山は【金山】とも呼ばれていたのですね。

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神社の奥にある建物には見事な彫刻が施されていました。

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金山神社のすぐ側にある「塩かけ地蔵」。

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さきほどの三途川の橋に鎮座していた延命地蔵さまが「ころりんさん」なんですね。
コロリと死ねる人は100人に4人。PPK(ピンピンコロリ)運動をしても、この国は延命医療技術が優れていて、倒れて寝込むと8年生かさてしまうそうですから、念願成就はなかなかキビシイですね。

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野菊の花。

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2014-10-24 17:17 | カテゴリ:秋田学びの旅