「小さい秋見つけた~♪」、我が家の庭のこはじょの木が紅葉をはじめていました。

8月29日朝、頭を車の後部ドアにぶつけ、秋田赤十字病院の救急に行ってきました。海馬直撃、余り痛くはなかったのですが、血が流れたので一応大事を取って休んでいます。頭を動かすとまだ痛みがあり、無理はできなく、「野の花日記」書きたい記事があるのですが、書けずにいます。

2014-08-31_18-08-08.jpg

庭に植えられたミニトマト、最後のひと房です。葉が夏に疲れた葉っぱになっていますね。私もなんだか頭の前額部に大きなガーゼを絆創膏と髪の毛で止めていて、鏡の中の顔が疲れています。

2014-08-31_18-09-22.jpg

8月も、もう終わりですね。戦後69年、テレビで色々な戦争に関わる番組が放送されていました。
映画『ワルキューレ』をきっかけにヒットラーによる独裁政治によるユダヤ人絶滅・人種差別・戦争について考えました。私は下に紹介する本を改めて読んでみました。怪我の功名です。
日本においてもヘイトスピーチデモ(一部の国の国民を差別し排除する)が国会前や街頭で繰り返し行われています。国連の社会権規約委員会からヘイトスピーチ改善勧告がされてます。国連委勧告には法的拘束力はありませんが、勧告された場合、遵守する義務があります。

『アンネの日記』に出会ったのは、私が中学1年生(1952年)の時でした。文庫版の大きさで白い表紙、緑の背表紙・分厚い本だったと記憶しています。この本は中学時代、何人かの友達にも貸したりしましたが、高校1年生時に、残念ながら第二次能代大火(1956年)で焼失してしまいました。
掲載したのは、1994年に出版された『アンネの日記・完全版』 アンネ・フランク著 深町眞理子訳 (文芸春秋社)です。

私は偶然付けたテレビで、映画『SHOAHショア―』(ホローコースト映画・ショア―は絶滅を意味します。)を観ました。そしてその画面に釘付けになりました。上映時間9時間30分。1974年から11年かけて取材完成された証言と実録です(一部演出があったとされますが)。日本での公開は1995年、東京日仏学園で行われ連日満員だったとのっことです。当時テレビでも放映された『ショア―』を私は能代の自宅で見ました。
『ショア―の衝撃』鵜飼哲+高橋哲也編(1995年刊未来社)を私は1997年3刷版で、秋田へ引越して秋田アトリオンのの書店で買い求めました。鵜飼氏と高橋氏の対談を中心に、『ショア―』について様々な人たちが感想や意見を述べています。

2014-09-05_14-19-43.jpg

『夜と霧~ドイツ強制収容所の体験記録~』フランクル著作集1(みすず書房)定価1200円。この本は1961年に第1刷が発行されています。私が読んだのは改版第17刷1980年、既に終戦から35年経過し、40代になったばかりのころでした。 

この本は全人類が読むべき聖書だと思いました。この思いは今も変わりません。

1933年、ヒットラーの緊急命令【党と国家の敵はすべて取り除く】により、ほんの一寸でも新体制に対して反体制の兆しがあるものは、手当たり次第に投獄され、ドイツ人が「治療」のためと称して強制収容所に投げ込まれた。6年間に数千人、終戦までは万を超えた良心の人々が容赦なく無残に殺されたのでしょう。この任務を遂行するためゲシュタボが活躍し、ナチ親衛隊の活動があった。(P8参照)

強制収容所はナチドイツが占領下にあるヨーロッパを1940年から45年にかけて縛りつけていた鎖の最後の一環であった。
あらゆる悲惨な道が強制収容所と死とへ続いていた。ユダヤ人、ロシアの戦争捕虜、パルチザン、役に立たなくなった奴隷労働者、連合軍将兵、夜と霧の囚人、そして侵略者に協力することを拒絶したために、あるいは征服民族に抵抗する気配を示したために、ゲシュタボによってその家庭から引きずり出された一団の無辜の男女ーこれらの人がこの道を進められた。(P72、73引用)

2014-09-05_14-22-13.jpg

1940年、ナチスドイツは、占領したポーランドの人々を収容するため、アウシュビッツを建設した。ドイツ最大の強制収容所アウシュビッツ「死の収容所」の大門には、<労働は自由への道>という標語が掲げられていました。しかし、殆どの人々は過酷な労働と飢餓のため3か月もしないうちに命を落とした。
20世紀最大の負の遺産であるアウシュビッツは、1979年世界文化遺産に登録されています。

絶滅収容所は6か所あった。・アウシュビッツ・へウムノ・ベウゼツ・リブリン・ソビボル・トレブリンカ
強制収容所は他に、ベルゼン、ブッヒェンワルト、フォセンベルク、ダッハウ、マウトハウゼン、ナッツワイラー、ラヴェンスプリュック、ノイエンガム、ザクセンハウゼン等がある。

2014-10-02_22-43-05.jpg

                                                                        
2014-09-05_14-23-25.jpg



2014-09-05_14-25-38.jpg



2014-09-05_14-27-35.jpg

『回想 上・下』 レニ・リーフェンシュタール著 椛島則子訳 1991年12月 1日初版 (文芸春秋)
レニ・リーフェンシュタール(1902~2003年)。1世紀に亘って成功と挫折の逆境を生き抜いた女性です。

≪ レニ・リーフェンシュタール略歴 ≫
1933年ナチスが政権獲得。
1934年ヒトラー国家元首になる。
1935年レニ(33歳)はアドルフ・ヒトラー直々に依頼され、ニュルンベルク党大会の記録映画『意志の勝利』を監督完成発表、「国家映画賞」を受賞する。
1936年ベルリン・オリンピック大会の映画を撮影、1938年『オリンピア』を編集完成。
4月20日ヒトラーの誕生日に封切り、大成功を収める。『オリンピア』はドイツ映画賞、ベニス映画祭で金獅子賞を受賞。

1977年(75歳)『ベルリン・オリンピック大会』出演のため初来日。
1980年(78歳)西武美術館で『ヌバ写真展』開催のため2度目の来日。
1987年(85歳)5年がかりで『回想』完成。

レニ・リーフェンシュタールは映画『意志の勝利』『オリンピア』が、ナチによる独裁を正当化し、国威を発揚させるプロパガンダ映画制作したという理由から、ナチスの協力者として見られ批判に晒され続けてきた。

栄光と挫折、成功と失敗の逆境を1世紀に亘って生き抜いた、類い希なる天才レニの生命・エネルギーに感嘆はするが、レニが否定するように「ほんとうにヒトラーのホローコストを知らなかった」のだろうか?…レニはヒットラーの時代に翻弄され続けて一生を終わったのか?・・・今回再読し、なお疑問は残りました。
 
2014-09-05_14-31-38.jpg

広がる青い空と緑に包まれた平和な日常…ただ有難きかな。

2014-08-29_08-25-05.jpg



スポンサーサイト

2014-08-31 19:58 | カテゴリ:日記