3月7日(金)、先ほどまでの吹雪で、また一面の銀世界になりました。3月になると秋田では春に憧れ、いち早く厚いダウンやオーバーを脱ぎ、軽いコートに着替えるのですが、今年はまだ皆んな冬のコートを纏っています。なかなか寒いのです。私も厚いフード付きダウンを着ています。

午前中の激しい吹雪が止み、一息ついてる外の景色。家の近くのこの通学道路は融雪道路になってます。灰色の雪雲が垂れこめています。
2014-03-07_11-19-22.jpg

せっかく咲いてたパンジーとビオラが今日はすっかり雪を被ってしまいました。
2014-03-07_11-25-22.jpg

また、私のリハビリ日記を書きます。
私は退院してから居間のソファアから立ち上がろうとして尻もちをついたり、カーテンを開こうとして引いた方向へ体が倒れたりしていた。食事作りは立っていればいいのでできたが、これも冷蔵庫から野菜や冷凍食品及び調味料を出すため屈むことができなかった。床下のじゃがいもや玉ねぎを出すのは、つんのめって吐きそうになった。
洗濯をして、洗濯物を2階のベランダまで運ぶことができなかった。自ずと夫の手が必要だった。

『生活即教育』→『生活即リハビリ』。羽仁もと子精神が、俄然私の中で燃えた。

羽仁もと子著作集 20巻 赤い布地に平福百穂(ひらふくひゃくすい・秋田県角館生まれ)が描いた美しい装丁の表紙が見えるようしてあります。角館には百穂の美術館があります。
2014-03-08_12-54-15.jpg

羽仁もと子さんの著作集20巻の中で、繰り返して書かれているのは『生活即教育』である。私は全国組織である『友の会』(毎月発行の雑誌『婦人の友』購読者で構成する)に、羽仁もと子生誕100年展覧会を秋田へ見に来て、その生活合理化と精神性に触れ、即入会した。
そして、30代半ばに「能代友の会」を設立した。子育て期の心の支えになったのは羽仁もと子精神であった。若かった私は月2回集まり、友の会の仲間と一緒に繰り返し著作集を読んでいた。

私は国家公務員として38年間仕事をし、退職してから秋田へ転居して来て「秋田友の会」へ入会した。だが、会の厳しさに楽しさと遊び心が見いだせなくて、間もなく退会した。今まで普通と考えていたことが通らない窮屈な世界だった。「楽しくないことはしない」「自分を追い詰めない」「杓子定規には生きたくない」という私のポリシーに反した。「楽しくないことは続かない」という言葉は羽仁もと子さんのことばである。

共働きで、右往左往していた私にとって、合理的な家事を学べたことは本当によかった。『寝る前の家』『朝の家』等、時間の使い方は今も私の中では継続されている。そして『思想しつつ生活しつつ』2巻から4巻のこの3冊に、もっとも私は影響された。
みんなで子育てした想いで多い「能代友の会」は、私が秋田へ移り住んでから間もなく解散してしまった。
「能代友の会」と「秋田友の会」での素晴らしい個性を持った方たちとの出会いは、私の生活と人生に豊かさをもたらしてくれた。今も深く感謝している。

『婦人の友』は家計簿で有名であり、しばしば新聞紙上等に取り上げられ、ご存知の方も居られると思う。羽仁もと子さんは『自由学園』の創立者である。
長女説子さんと結婚した羽仁五郎氏は学生運動の最中に『都市の論理』がベストセラーになり、私もかじった。
息子はドキュメンタリー映画監督の羽仁進氏、孫の羽仁未央さんは学校へ行かないで家庭で教育を受け、義務教育を終えた方です。

羽仁未央さんは「不登校を悩み恐れるなかれ」の実践者です。学校へ行かなくても、人は一人前になれるのに、大人が寄ってたかって「病気だ!何だ!かんだ!」と騒ぐから、子どもが不安になり問題が発生するのです。大人が一人前をしっかり生きてないから、自信喪失していることがより問題を複雑に大きくしてるのだと思います。
「不登校」も「ひきこもり」も、その人にとっての事情があり、その人の生き延びるための究極の適応なのです。悪いことではありません。悪いのはこれを非難し追い詰めて、家庭の檻に閉じ込めて潰してしまう建前社会の大人たちです。
少子化社会が問題視されながら、生まれた子どもがむざむざ見捨てられてるのが日本社会ではないでしょうか。

話がそれてしまいました。リハビリに戻しますね。
羽仁もと子さんの『生活即教育』をもじった『生活即リハビリ』をスローガンにして、私はよろめきながら日常生活をはじめた。「~だからできない」という言い訳は使わないことにした。
ただ困ったのは、薬の副作用で口の中が苦く、渇き感があったことである。始終何か口に入れてないと苦さが増して吐きそうになることだった。しかし、私の生活全体から見たら、それは極一部分のことであった。こだわってはいられない。とにかく、普通に歩きたかった。

私のリハビリ生活に希望を与えてくれた本を紹介します。
『癒やす心、治る力~自発的治癒力とは何か』アンドルー・ワイル著 上野圭一訳 1995年発行(角川書店)には、「なぜ病気になるのか」という質問に対する手短な答えは、「アンバランスを引き起こしている力または状況が、バランスを回復する治癒系の能力の限度を超えてる場合があるから」ということになる。(P162引用)
つまり、耳の三半規管へのヘルペスは、「ストレスの多いアンバランスな生活をこれ以上続けていては命が危ないぞ」「ライフスタイルが間違っているよ」という、私の身体からの警告だったのである。

2014-03-10_09-52-07.jpg

『脳を鍛えるには運動しかない!~最新科学でわかった脳細胞の増やし方~』ジョンJ・レイティ 野中香方子訳2009年(NHK出版)
第1章 革命へようこそ……運動と脳に関するケーススタディ
第2章 学習……脳細胞を育てよう
第3章 ストレス……最大の障害
第4章 不安……パニックを避ける
第5章 うつ……気分を良くする
第6章 注意欠陥障害……注意散漫から脱け出す
第7章 依存症……セルフコントロールのしくみを再生する
第8章 ホルモンの変化……女性の脳に及ぼす影響
第9章 加齢……賢く老いる
第10章 鍛錬……脳を作る
第11章 鍛錬……やり通すこと

 ☆もし運動が嫌いでも落ち込むことはない…遺伝的にそうなっている可能性もある。2006年ヨーロッパの研究者が双生児について身体活動のレベルを比較した。その結果、彼らが運動好きかどうかは、62%が遺伝に由来することが分かった。
またほかの研究により、運動するときの感覚を楽しめるか、一度始めたらやり通せるか、運動して気分が劇的によくなると感じるかどうかということさえ、遺伝子が影響することが分かっている。
中でも研究者が注目するのは報酬とやる気にかかわる神経伝達物質であるドーパミンに関連する遺伝子と、BDNFの生成をコントロールする遺伝子だ。(中略)
……誰でも行動を起こすことによって脳の配線を繋ぎ直すことができる。子どものころのように簡単にはいかないが、確かに可能なのだ。

 ☆運動するとドーパミンが増え、しばらく定期的に続けると、脳の報酬中枢にあるニューロンが新たなドーパミン受容体を生み出し、さらに運動していこうという動機が芽生えてくる。新しい神経回路が作られたり、しばらく使わなかったため錆びついていた経路が磨き直されたりし、ほんの数週間で一つの習慣が根づく。
 運動は自分を鍛え直す手段となり、それによって遺伝子の束縛を断ち切ることができる。実際のところ、遺伝子は複雑な方程式の変数の一つにすぎず、ほかの多くの変数をあなたはコントロールできるのだ。(中略)
以前、定期的に運動していた人の海馬は、運動を再開すると急速にその活発な状態に戻ることができるのだ。毎日運動できればベストだが、休み休みでも運動すれば驚異的な効果がある。「毎日やるか、まったくやらないか」というものではないということを肝に銘じてほしい。(P326~328)から引用。

私は幸い大型スーパーの近くに住んでいるので、そこで歩行訓練をすることができた。歩くと太ももの後ろ(大腿二頭筋)とふくらはぎとアキレス腱が痛かった。特に左の膝が痛かった。もし、女性の平均年齢まで生きるとしたら、あと20年もこの痛みに耐えなければならないのだろうか?高齢者と呼ばれるようになって、肢体が不自由になるのは当然なのだろうか?20年痛みに耐えるなどできない!!私は自分の身体に強く反発した。このままで生きて行きたくない!!私は何よりも生活の第一目標をリハビリに置いた。

私は毎日、毎日、夫から近くのスーパーへ送迎してもらった。スーパーの中は物(販売商品)が溢れていて、私は商品の方に転びそうになるので、陳列棚、ショウケース、ガラスのウインドウから離れて歩いた。歩いているとみんなが私を追い越して行った。私は誰よりも歩くのが遅かった。
スーパーの2階には手すりがあるので、そこで歩行訓練をした。長くは歩けないので、よくトイレの赤ちゃんコーナーにあるソファで休んだ。2000歩ほど歩くと疲れた。

当時まだ、2000年に立ち上げた「女性学スペースミズ」というグループの世話人をしていたことと、秋田ウィメンズネットの『あうん通信』を発行するため秋田男女共同参画センター(ハーモニープラザ)のあるアトリオン6Fへよく行っていた。よろめく私はセンターの廊下の窓のふちにも助けられた。
「マリコさん。危なかっしくて見ていられないよ。杖を買ったら?」と言われ、周囲を安心させるために、ミズノのワイン色の3つ折りの杖を買った。しかし、この杖はほとんど使わずじまいだった。

日本フェミニストカウンセリング学会と全国女性シェルターネットの大会や研究会へは、全国どこでも出かけて参加した。度々上京していたが、駅ではエレベーターを利用し、電車は混雑を避けて一度電車を見送ってから乗り込み、座席を確保するようにしていた。めまいと足のふらつきで電車を立って乗ってることはできなかったからである。
当時を思い出すと、ふらふら足を引きずって歩く姿はかなり不様だったんだろうなと思う。しかし不様かどうかはどうでもよかった。「生活即リハビリ」を続けていれば、いつか普通に歩けるようになれることを信じていた。

2014-03-10_09-45-17 - コピー

上の本は『ジェーン・フォンダのからだ術こころ術』ジェーンフォンダ著 堂浦恵津子訳1987年(晶文社)とジェーンフォンダのエアロビクスビデオ(5巻)です。私は50代に4年ほどジャズダンスを友だちと一緒に習っていたことがあります。昔取った杵柄(きねずか)エアロビクスにチャレンジを試みました。はじめは本当に何もできなく、靴下さえベッドに腰掛けて穿いていたのですから無理もなかったのですが、体は有難いですね。『以前、定期的に運動していた人の海馬は、運動を再開すると急速にその活発な状態に戻ることができるのだ。』全くその通りの実体験でした。
現在もたまに思い出したようにエアロビクスをしています。

放送大学の授業『身体福祉論~身体運動と健康』(宮下充正・臼井永男教授)で、エアロビクスはめまいに効果があると聞いて、私が運動として選んだエアロビクスは花まるだったと、とてもうれしかったです。

『中高年のための「体を動かす」簡単運動メニュー』(主婦の友社)は、毎日のストレッチと筋トレの実践に役立っています。歩くだけでは筋肉は形成できないのですね。私は筋肉を大量に失っていたので、取り戻すのが本当に大変でした。それでも、高齢になっても筋肉はちゃんとつくのです。6年もかかったけれど、荷物を手にもってスタスタ(?)まっすぐに歩けるようになりました。


   宮沢賢治  「疾  中」(しっちゅう)より

     〔 丁 丁 丁 丁 丁 〕

         丁 丁 丁 丁 丁
         丁 丁 丁 丁 丁
     叩(たた)きつけられてゐる 丁
    叩きつけられてゐる 丁
   藻(も)でまっくらな 丁 丁 丁
   塩の海  丁 丁 丁 丁 丁
     熱  丁 丁 丁 丁 丁
     熱 熱   丁 丁 丁

       (尊 々 殺 々 殺
        殺 々 尊 々 々
        尊 々 殺 々 殺
        殺 々 尊 々 尊)

   ゲニイめたうとう本音を出した
   やってみろ   丁 丁 丁
   きさまなんかにまけるかよ

    何か巨(おほ)きな鳥の影
    ふう     丁 丁 丁

   海は青白く明け    丁
   もうもう上がる蒸気のなかに
   香ばしく息づいて泛(うか)ぶ
   巨きな花の蕾がある           
        
(6)へ続く
スポンサーサイト

2014-03-07 12:03 | カテゴリ:リハビリ