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2月21日、雪が降ってましたが散歩に出ました。さすがの私も真正面から吹き付ける雪に、怖気(おじけ)づき、公園の中を歩く気にはなれませんでした。この公園は開発公社と市民である私たちとが共同で考え設計した公園です。

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公園から戻る途中、吹雪の中で、住宅団地を造成するため働いてる車がありました。男性が3人凍てつく厳しい寒さの中で働いていました。ミキサー車では男性が水で車を洗っていました。頭が下がりますね。

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23日未明け、17日間にわたって、世界中から集まった若者たちが速さと力と技を競ったソチオリンピックも、とうとう終わりましたね。写真は真ん中のぬいぐるみのクマさんが丸い器に入ってるオリンピックの火を吹き消すところです。この後、一気に外の聖火台の火が消えました。

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聖火台のオリンピックの炎が消えて・・・はじまったことは終わるんですね。炎の消えた聖火台は、赤い色から青い色に変わりました。なんだか淋しいですね。

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オリンピックは終わり、子どもたちの未来に夢を託し、真に平和な世界が実現できるよう、大人が努力しなければならないのですよね。

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またまた、私のリハビリ日記に戻りますね。
私は主治医に「マリコさん、長くなって申し訳ないです」と、何度か詫びられた。「1週間位の入院でいいでしょう」が、めまいで入院が51日間にも及んだのは、医師のせいではなく、三半規管へのダメージが酷すぎたからであり、私は必要な入院だったと今も思っている。
「この病気は治りません。しかし、機能を使うことで、新しくシナプスがつながり回復する可能性はあります」医師が言った。私は希望が持てた。あとは自分次第だと。楽しくリハビリしよう。決して諦めないぞ!!
以前、私は足の静脈瘤手術をしていて、手術した静脈が閉鎖されても、他の細い静脈がバイパスの役割を果たし、全く弊害はなかったという経験をしていた。

私は、体は自らの力で回復する。大事なのは治ろうとする意思、生き延びたいという希望であると思っている。体には自ら体に生じた異常事態を元に戻そうとする恒常性と自然治癒力があるからである。
こういう私の考えに強い影響を与えた本を紹介します。

この本は、平成元年11月に発行された初版本(日本教文社発行)である。
第Ⅰ部 生きる姿勢を変える 第一章 幻滅 第二章 混乱 第三章 制御
第Ⅱ部 心臓と循環器の病気 第四章 心臓と心 第五章 狭心症 第六章 心臓発作               第七章 高血圧
第Ⅱ部 医学の謎   第八章 関節炎 第九章 糖尿病 第十章 腎臓病 
           第十一章 片頭痛 第十二章 多発性硬化症
第Ⅳ部 癌      第十三章 手術 第十四章 放射線治療 第十五章 化学療法               第十六章 癌の制圧 第十七章 健康への意思
第Ⅴ部 結論     第十八章 人格の統一性

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 <本文 P169、P170 より引用>
 アメリカの作家ノーマン・カズンズは『五〇〇分の一の奇跡』(講談社)の中で、プエルトリコの家に巨匠パブロ・カルロスが90歳の誕生日を迎える、2,3週間前に訪問したことが書かれている。
パブロス氏はリューマチ性関節炎を患い、夫人の腕にすがり、腰は深く曲がり、足を引きずって歩いていた。手は腫れ、指は固く握りしめられていた。そんな状態だったが、朝食前ピアノのところに行き、苦労しながら椅子に腰かけた。

 ☆これから起ころうとしている奇跡を私は全く予想していなかった。握りしめられた指はゆっくりと開き、植物の芽が日の光に向かって伸びるように鍵盤の方へ伸びて行った。背筋は伸ばされた。今では前よりも楽に呼吸をしているように見えた。ついに指が鍵盤の上におかれた。そして聞こえてきたのはバッハの《平均律クラヴィーア曲集》の冒頭で、まことに神経細やかな、非常に抑制された演奏だった。
パブロ氏はチェロ奏者になる前に、いくつかの楽器を手がけ、熟達した腕前になっていたことを思い出した。ピアノを弾きながらハミングしていた氏は、バッハが私に語りかけています、と言いながら、胸のあたりに手をやった。
 そのあと突然ブラームスの協奏曲を弾きはじめた。一転して軽快で力強くなった指は、目も眩むような速さで鍵盤のうえを駆けめぐった。体全体が音楽と溶け合って一体化しているかのようであり、こわばったり縮こんだりしているところはもはや見えず、しなやかで優雅であり、関節炎の束縛から完全に解放されていた。☆

 カルザスの場合創造性が自らのコーチゾンを生み出す源泉だった。(中略)……カルザスは自分の創造性の中に、そして特定の目的を達成したいという欲求の中に埋没していたのであり、それから生ずる効果は真実であるとともに誰の目にも明らかだった。

 また、ノーマン・カズンズ氏自身が米ソ文化交流を図るためアメリカ側代表団長として、ソ連を訪れ、まことに意に満たないきついスケジュールをこなし、帰国後、体の自由がきかない病気になってしまった。病気のどん底の時は顎がほとんど動かなくなり、手足を動かすのは難儀で、寝返りを打つことさえできなかった。専門医は完全に回復する見込みは「五00分に一つしかない」と言われた。カズンズ氏はこの診断をつっぱね、ホームドクターの協力を得て、結合組織がどんどん破壊されていくのを食い止める力を取り戻すことにした。(P171参照)

 この後、カズンズ氏は病院を出てホテルに入った。病院で処方された薬を止め、そのかわりに、いろいろなやり方で自分を笑わせることにした。面白いビデオを見たり、茶目っ気のある本を読んだりした。10分ほど笑いころげると痛みに煩わされることもなく2時間ほど眠ることができた。熱も徐々に引いていき、脈拍は減少し、のたうち回るほどの痛みが消えた。そして数か月後には仕事に復帰することも可能になったのである。(P172参照)

 結論は、死に憧れないこと。未来に希望をもって生きようとすることです。
死は私たちが生きることにひるんだとき、ここぞとばかり、あらゆる手段(自殺を含め病気になるための自殺的行為)を用いて私たちを死へ連れ去ろうとするのではないでしょうか。
生につながるためには生きる意志こそ重要なのだと思います。
自然の中でこの一瞬の命を生かされてることに感謝し、自分自身の生活を楽しく喜びのあるものにすることが、きっと私の命を永らえさ、豊かなものにしてくれるだろう……「全くの楽観主義」ですが、私がこの本から学んだことです。

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私は退院を急いでいた。大潟村(男女共同参画)主催の『自分らしく生きる』のシンポジストとして参加することになっていたからである。そこで、私がなぜDV被害者支援に至ったのか話すことになっていた。1月23日、その日は迫っていた。
また、病院のコンビニで資料コピーをしていると、主治医が「マリコさん、何してるの?」と訊かれる。「シンポジュウムの資料を作ってます」「そういう目標があるのは、回復に役立つ、いいね」と言ってくれた。
退院は、男女共同参画シンポジュウムに間に合わせて決められた。まだめまいは著しく、普通に歩くことは困難だった。

私はシンポジュウム当日、吹雪の中を夫から送ってもらって会場に向かった。大潟村の会場は公民館の2階にあった。長い階段が目に入った。エレベーターはない。階段の手すりに掴まりようやく登った。開会の前、秋田県の制度である、認定秋田県男女共同参画推員(大潟村の)と準備委員の方と親交を深めるため、昼食を共にすることになっていた。案内されたのは和室だった。ロングブーツを脱ぐのも履くのも一大事だった。それに畳・・・座るのは最も苦手だった。膝が折れないうえ、お尻の筋肉が激減し、座ると尾てい骨あたりが痛いあり様で長く座ってることはできなかった。
幸い、講演会場は洋室だった。胸を撫で下ろした。鞄を持つと持った鞄の方向に転びそうになり会場の廊下もようやく歩いた。
 
シンポジュウムには男性が数名参加していた。男性に解ってもらえるのか、男性はDV加害者である場合があるので、話しにくさが生じた。シンポが終わると、何人かの女性が近づいてきて「秋田でもDV被害者支援をしてる方がいるんですね。初めて知った」と言われ握手を求められた。私はその方たちに、持参して来ていた秋田ウィメンズネットの『あうん通信』とパンフレットをお渡しした。
一人でも多くの人に「DVがどういう暴力であり、どんな支援が求められているか」「女性が不当な暴力を受け、自分らしく生きることができない」こと、「DVは女性への人権侵害である」こと、「DVは犯罪であり赦してはならない」こと、「3人に1人の女性が被害にあってる」ことを知ってもらいたいといつも思っている。諸悪の根源に「差別」があり、「暴力」があることに気づいてほしい。DV被害を受けたことにより心身が壊れかけた多数の女性にあってきた私は、一人ひとりの女性が、一人前を自分らしく生きてほしいと心から願わずにいられない。

反省会がお茶をしながら和室で開くことになっていたが、私は体力的に限界があり帰ることにした。秋田男女共同参画副センター長には私の病気をほとんど理解してなく、「なんで帰るの?」と訝られた。私は退院したばかりであり、答える気も余力もなかった。
その後、秋田県男女共同参画推進員(一人の方は秋田宮沢賢治愛好会会員、もう一人は秋田ウィメンズネット運営委員)のお二人が鞄をもって夫が迎えに来てくれた車まで送ってきてくれた。
この日、私の不自由さを支えてくれた皆さんに心から感謝です。悪天の中、夫が午前と午後大潟村まで往復してくれたことにも感謝です。皆さまのお蔭で無事シンポジストとして責任を果たせたこと、今も有難く思っています。


   宮沢賢治 「疾  中」(しっちゅう)より

     〔 夜 〕

   これで二時間
   咽喉(のど)からの血は止まらない
   
   おもてはもう人もあるかず
   樹(き)などしずかに息してめぐむ春の夜
   こここそ春の道場で
   菩薩(ぼさつ)は億の身をも棄(す)て
   諸仏(しょぶつ)はここに涅槃(ねはん)し給(たま)う故(ゆえ)

   こんやはもうここで誰(だれ)にも見られず
   ひとり死んでもいいのだと
   いくたびさうも考(かんがへ)をきめ
   自分で自分に教へながら
   
   またなまぬるく
   あたらしい血が湧(わ)くたび
   なほほのじろくわたしはおびえる

 ☆賢治さんの心細さ、どんなに生き続けたかったろうかと思うと、涙が出ます。

(5)へ続く
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2014-02-27 14:02 | カテゴリ:リハビリ