2月7日(金)からはじまったソチオリンピックも23日(日)まで後、残すところ2日となりましたね。

古代オリンピックは戦争であまりにも人的資源(命を落す)を失うため、戦争を一時休戦してお互いの国が力を競い合う祭典、オリンピックを考え出したと言われてます。場所はギリシャのオリンピアでした。紀元前8世紀のことです。日本は縄文時代ですね。最初の競技は人が走る競争でしたが、後に短距離競走、幅跳び、円盤投げ、やり投げ、レスリング等の5種競技や長距離競争、ボクシング、戦車競走などの種目が加えられたのだそうです。この競技内容は当時の戦争そのものですね。

1500年もの長い間オリンピックの火は途絶えていましたが、フランスのクーベルタン男爵の努力により、1896年第一回近代オリンピックがギリシャのアテネで「世界平和を目的とする」スポーツの祭典として開かれるようになったのでした。人間の闘争心の平和利用、それがオリンピックなのですね。
世界大戦による開催中止、1970年代から80年代には、人種問題や冷戦によるボイコットが起こる大会が多かったのですが、近年はすべての国が参加するようになってきました。「平和の祭典オリンピック」も、激しく政治に左右されてるのですね。

国際オリンピック委員会[IOC]の資料によると、1896年、第1回アテネ大会(ギリシャ)は参加国14、参加人数241人、女性の参加は0でした。
2008年、北京大会(中国)は参加国204、参加人数10,942人、女性の参加は4,637人と、女性の参加が40%を超えたのでした。
なお、2014年、ロンドン大会(英国)には204カ国参加すべての国から女性選手が参加した記念すべき大会となったのでした。
女性が走るだけで、奇異に見られ、阻害されてた時代と隔世の感があり、女性選手たちの果敢に戦う選手の姿に、オリンピックにおいては、表面的には女性差別がなくなってきてると感じてます。

冬季オリンピックは1924年シャモニー・モンブランでは参加国16カ国、2014年のソチ開会式では参加国87カ国でしたが、閉会式では参加国にインドが加わり88本の参加国の旗が行進してました。政治の動きがあったのですね。

私はライブは時々しか見なかったのですが、それでも、力の限りすべてをかけてチャレンジする選手たちの輝きと強さに感動をもらいました。

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お正月が終わると、すぐお店にお雛様が飾られはじめ・・・そろそろひな祭り行事としてお雛様を写真に収めようと思って行くと、もう五月の節句、武者人形が飾られていました。気の早いことで。商売は常に先手先手を打たなければならないのですね。

女の子の節句(3月3日)、男の子の節句は(5月5日)とこれは不変ですね。変わったのは5月1日のメーデーと1月15日の成人式です。私はいまだにメーデーと成人式がいつなのか分からない年があります。これは私だけの問題なのでしょうけれど。

女の子は今までの規範は素直で優しく美しくでしたが、今どきの女の子は強く優しく諦めない子に育ってほしいですね。
わが家では娘のお雛様、箱に入ったままになっています。ぼんぼりと内裏雛だけでも飾ろうかしら。お雛様って雅で美しいですね。お店のお雛様は高級なものは既に売り切れていました。

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男の子はリーダーシップを取り天下人になれ。兜をかぶりいざ!闘え!でしょうか?
人間も人類誕生以来、闘ってきたから生き延びることができてるのですよね。長い長い気が遠くなるほど長い歳月を経て、私たちの脳には「戦う」「相手(敵)を負かす」「勝つ」という闘争心がプログラムされてるのだと思います。

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男は逞しく、泣きごとなど言わない。それで苦しみに追い詰められると、誰にも助けを求めず黙って自殺するのでしょうか?兜や武者人形を求めた人は子どもや孫に伝えてほしいですね。「男も弱音を吐いていいんだよ。泣いていいんだよ」「苦しいときは誰かに勇気を出して相談して、助けを求めていいんだよ」「一番大事なのはあなたのかけがえのない命だよ」ということを。

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私のリハビリについて話す前に、私に大きな影響を与えた姉のリハビリについて少し書きますね。
このパッチワークは私の姉の作品です。私の姉は10年以上前、1回目の脳梗塞で開頭手術をし回復してました。
2回目の脳梗塞は長嶋茂雄さんが倒れる少し前でしたが、長嶋さんと同じ「心原性脳塞栓症」と診断されました。ただ、2階にいた次女が会社へ出勤前、階下から「う~~~ん!う~~~ん!」という異様な唸り声を聞きとめ、駆け付けたところ、台所で倒れている母親を発見して、すぐ救急車を呼び、病院へ運んだのが幸いしました。病院へ着くまでの所要時間は約1時間でした。この迅速な行動が姉を右半身マヒの重症化から救う結果となったのでした。

長嶋さんは病院へ行くまで6時間の時間を経過してました。車の中でいびきをかいて寝ている長嶋さんを「疲れてるんだな」と、運転手さんはそのまま休ませておいたのでした。今も長嶋さんの右手はポケットの中です。発見が早ければと、非常に残念に思っています。

治療も進歩を遂げ、開頭手術をしないで、点滴と薬による治療でした。私がお見舞いに駆け付けたとき、右半身は麻痺し歩行困難、右手に特殊なスプーンをもって食事をしてました。

退院後、姉は思い通りに動かない、力の入らない手で包丁を持ちきゅうりを切り、薄く切ることはできないので,ゴロゴロ切られたきゅうりの酢の物や煮物をごちそうしてくれました。見ていられなくて「私がやろうか」と言うと、「マリコ、いいの、いいの、これは私のリハビリだから」と断られました。
姉はミシンであれこれを作るのも好きで、パッチワークは先生について習い、得意でした。

私は当時、よく上京してました。毎週ということもあり、その度に姉を見舞っていました。姉はあまり外へ出歩くことを「格好悪いから」と避けていました。
「姉さん。このまま家に閉じこもり、座敷牢の人になるの?恥ずかしくなんかないよ。外へ出よう」と誘うと、姉は意外に素直に地域の公民館施設で開いている、リハビリ手工芸教室へ迎えに来たバスに乗り通いだしたのです。はじめは割り箸や折り紙でできた作品を、「これ作ったよ」と部屋に飾っていました。それは幼稚園児並の稚拙な作品でした。手が不自由なのですから当然ですが、私は「よくできたね」と褒めると、姉はとても喜んでくれました。

縫ってきた雑巾は、とんでもない方向に針目が曲がり、針目も2cmもあるというものでした。「おかしいね」二人であまりの酷さに吹き出し笑いこけたりしていました。「姉さん大丈夫だよ、そのうちちゃんと縫えるようになるから」と私は励まし役に徹していました。姉は再びパッチワークをしたいという希望を持ち、雑巾作りに励みました。次第に針目が整い、やがてパッチワークにチャレンジするようになり、小さな作品をいくつも作りました。後に次女のベッドカバーも完成しました。

下のパッチワークは「6年かかったよ」と、昨年クリスマス前上京した時、羽田まで見送りに来てくれた姉が私にプレゼントしてくれたものです。「ふちを赤にするか緑にするか1年も迷ったからね」と姉は笑った。これまでになるまでの姉の苦労と負けじ魂に脱帽し、有難くいただいたのでした。

ある日、駅の階段の手すりに掴まりようやく登っていた姉を、姉が元気なとき勤めていた新宿へ「行ってみない?」と、誘ってみましが、「無理、あの人混みの中で転倒しそうで怖い」とあっさり却下されました。
それでも、品川の原美術館、竹橋の東京国立近代美術館、上野の森美術館、国立西洋美術館、東京都美術館など美術館巡りをして一緒にご飯を食べたり、買い物をしたりしていました。私たちは、きょうだいが二人でいられる時間を思いっきり楽しみました。

その日は何処をどうしたものか、道を間違い、電車を間違い、なんと二人の万歩計は13,000歩を記録してました。私たちは、疲れたけれど大いに満足し笑いあいました。「こんなに歩けた!」姉はこれを機会に自信がついて、旅行にも出かけるようになったのです。

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写真はテレビのライブ映像です。ソチ5,000m男子スピードスケート競技です。私はこれを品プリで見て、選手たちの大腿の筋肉の太さに見とれてしまいました。筋肉はパワーなんですね。パワーを爆発させて走る姿は素晴らしいですね。美しいですね。

話を「リハビリと私」に戻しますね。
私は耳のヘルペスで入院し、体中の筋肉を失い、限りなく体力を失っていたことに退院後気づきました。缶コーヒーのタブを自分で開けることができませんでした。もちろんペットボトルの蓋も無理でした。歩くと足のアキレス腱と下腿の後ろ、大腿の後ろ、足の付け根が痛みました。歩くとあんなに呼吸が苦しくハアハアしたのは、心筋も弱っていたのでしょう。
なぜこうも筋肉をなくしたのか、考えてみました。原因は微熱(37,5℃)がつづき、吐きまくったこと、栄養が取れなかったこと、天と地が逆転するめまいのためトイレ以外はほとんど寝ていたからでした。

体重は5k減っていました。脂肪や水分だけではなく筋肉と骨量が減っていたのですね。周囲の人に「マリコさん、体が小さくなったね」と、驚かれました。洋服のサイズが11号から9号に変わりました。耳の三半規管にヘルペスができた、このただ一つの病気が私の骨身を削ったのです。

人も動物です。自分たちのことをホモサピエンスなど最も優れた種と名付けていますが、野山を駆け廻って食物を得て生きてきたのですから、体を動かすということが、生きて行くうえでの基本なのですね。
頭ばかり使っていてはダメなんですね。同じく体も動かして使ってないと、脳は体のあらゆる運動器(筋肉をはじめ骨、間接、軟骨、椎間板等)を不要と認識し、動くことを節約してしまうんですね。これによって歩行障害が起こり日常生活に困難を生じてしまうのです。これをロコモティブシンドローム(通称ロコモ)といいますが、聞いたことがありますか?

ロコモは高齢者がかかる運動障害なのです。移動困難から日常生活はもちろん、社会活動が狭められ、社会参加ができなくなります。高齢者は自分の健康寿命を延ばすために、是非「ロコモ=廃用性疾患」について知識を持つことが必要だと思います。
高齢になり病気になって寝込むと、坂を転げるように障害が連鎖して起こってくることを痛感しました。恐ろしいですね。

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真冬日が続いています。玄関先で雪や風に晒され、半分凍りながらパンジーとビオラが健気に咲いてます。日差しが少しでも差し込むと太陽の光を求めて顔をあげる姿は、サバイバルして生き抜く植物の強さを感じます。

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    宮沢賢治  「疾  中」 しっちゅうより

      〔風がおもてで呼んでいる〕

    風がおもてで呼んでいゐる
    「さあ起きて
    赤いシャツと
    いつものぼろぼろの外套(ぐわいたう)を着て
    早く表へ出てくるんだ」と
    風が交々(こもごも)叫(さけ)んでゐる

    「おれたちはみな
    おまへが出るのを迎へるために
    おまへのすきなみぞれの粒(つぶ)を
    横ぞっぽうに飛ばしてゐる
    
    おまへも早く飛び出して来て
    あすこの稜(かど)ある巌(いは)の上
    葉のない黒い林のなかで
    うつくしいソプラノをもった
    おれたちのなかのひとりと
    約束通り結婚しろ」と

    繰(く)り返し繰り返し
    風がおもてで叫んでゐる

 (4)へ続く
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2014-02-21 10:27 | カテゴリ:リハビリ