広島原爆の日を前に、原爆ドーム前の元安川でともされた鎮魂と平和への願いを込めたかがり火=5日夜、広島市中区(※写真は時事ドットコムニュースからお借りしました。)

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広島市は6日、72回目の原爆の日を迎え、広島市中区の平和記念公園では午前8時から市主催の「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が行われ、被爆者や遺族、安倍晋三首相、世界80カ国の代表が参列。日本人女性として初めて国連本部事務次長に就任した中満泉・軍縮担当上級代表が出席しました。(※写真は読売新聞からお借りしました。)

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★★★ 国連の核兵器禁止条約、成立するも日本は参加拒否!122の国と地域が賛成!国連では大歓声!★★★

7月7日に国際連合(国連)で核兵器の使用や威嚇などを法的に禁止するための国際条約が初めて賛成多数で可決・成立しました。この条約には100ヶ国以上が参加する見通しで、日本やアメリカ、ロシアは「核兵器を一方的に禁止することは世界の安全保障の現実を踏まえていない」として参加を拒否したとのことです。

賛成した国の数は122となっており、議場では各国の代表から大きな拍手と歓声が上がりました。日本からも広島の被ばく者達が来ていましたが、肝心の日本政府は最後まで参加には消極的だったと報じられています。

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「アメリカからの圧力か?」と問われ、「そうではない。日本の立場を説明し、その立場をアメリカに理解してもらった」。

☆彡 岸田外相は広島出身。広島市民がどんなに失望したことでしょう。アメリカの奴隷に成り下がってしまってるんですよね!!<`ヘ´>。

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☆彡 安倍首相が、どんなに「平和のために誠実に努力していく」と言っても、空しいですね。誠実とは言葉と行動が一致することです。
安倍首相の出自は、歴史に学ばない、戦争を進めた戦犯家糸です。戦争責任を免れようと親米に走り隷従し、ヒロシマ・ナガサキ並びに日本国民の平和への願いを裏切っているのです<`ヘ´>。

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松井一実市長は平和宣言で、7月に国連で採択された核兵器禁止条約に言及。「核保有国と非保有国との橋渡しに本気で取り組む」ことを政府に求める。
各国の指導者に対しては、核兵器廃絶を目指して「良心」に基づき、互いの相違点を克服するための努力を「誠実」に行うよう呼び掛ける。

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平和記念資料館を視察する国連の中満泉事務次長(奥左から3人目、黒い服に白いネックレスの女性)。手前は原爆投下の瞬間をCGで投影して再現する「ホワイトパノラマ」=5日午後、広島市中区

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被爆者健康手帳を持つ人は今年3月末時点で16万4621人。平均年齢は81.41歳で、昨年より0.55歳高くなった。
式典では、この1年に死亡が確認された5530人の名前を記した原爆死没者名簿を慰霊碑に納める。犠牲者は30万8725人となった。
※出典 時事ドットコムニュース ※写真もお借りしました。

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峠三吉さんは28歳の時、爆心地から3km離れた翠町の自宅で被爆しました。戦後、青年運動・文化運動を通じ次第に平和運動の先頭に立つようになり、原爆反対、平和擁護の作品を数多く発表しました。
幼いころより体が弱く、より健康になりたいと1953(昭和28)年3月10日、国立広島療養所で肺葉摘出手術をしたが手術困難のため中止、手術台の上で死去。享年36歳でした。

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  ちちをかえせ
  ははをかえせ
  としよりをかえせ
  こどもをかえせ
  わたしをかえせ
  わたしにつながる
  にんげんをかえせ
  にんげんの
  にんげんのよのあるかぎり
  くずれぬへいわを
  へいわをかえせ
              「峠三吉」 原爆詩集

この詩は詩集『原爆詩集』(昭和26年刊)の「序」としてかかれた詩であり、 核兵器廃絶運動の象徴ともなっています。   

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この「原爆詩集」が刊行された1950年代は、朝鮮戦争で原爆使用も考慮(トルーマン声明 1950年11月30日)といった世界史的な緊迫した状況にあり、またその危険を予知した世界擁護世界大会委員会によるストックホルムアピールの署名運動を背景とし、峠三吉さんは「広島市民からも意思表示がなされるべきだ」(日記)との思いで刊行を決意した。

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「原爆詩集」は、当初東京の大手出版社から出される予定で、詩人・壷井繁治が奔走するが、結局「編集会議でもいろいろ議論されたのですが、いますぐはだめだということになりました………そちらで大至急ガリ版ででも出してください」(壷井からの書簡)ということで急遽1951年8月6日に間に合わせるために、孔版(ガリ版)印刷されわずか500部発行された。

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【 生ましめんかな 】

壊れたビルディングの地下室の夜だった
原子爆弾の負傷者たちは
ロウソク一本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。

生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から、不思議な声がきこえてきた。
「赤ん坊が生まれる」というのだ。

この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。

マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう。
人々は 自分の痛みを忘れて気づかった。

と「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。

かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。

かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。

生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも  (1946) 栗原貞子

☆彡 この詩を読むと涙が止まらなくなってしまいます。私は泣き虫?

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栗原貞子さん(1913年3月4日 - 2005年3月6日)は、広島で被爆。ひたすら原爆についての詩と文章を書き続ける。この詩は、敗戦の翌年、雑誌「中国文化」第一号に掲載された。栗原さんは人づてにこの事実を聞いて、詩をつくったのでした。後年、その時産まれた赤ん坊・女性との交流も短い期間だったけれどあったとのことです。

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【 原爆を許しまじ 】 作詩 浅田石二 作曲 木下航二 
https://www.youtube.com/watch?v=zq9pXGShrHk

この歌を何十回、何百回歌ったことであろうか。伴奏はアコーデオン、歌声喫茶で…。そして平和運動、反戦歌、デモ行進…。まだ労働組合が実在していた若かりし時代のことでした。

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八重咲のドクダミ草。ドクダミ草は英国の国花です。

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ここから過去記事になります。6月30日、3泊4日の予定で上京。駅に並べられた【命のメッセージ】。

人が暴力的に生命を奪われることなく精一杯生きることが出来る社会を夢見ています。
戦争はない、殺戮はない、犯罪はない、被害者の生まれない世界。

しかし現実には多くの生命が犯罪や社会の不条理のもとに生命を断ち切られています。
ひとつとして忘れることの出来る生命はありません。(命のメッセージ HPより)

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☆彡 この小さな靴を見た途端、涙が溢れた。みんなに愛され「アンヨが上手♪」になりかけた途端、突然終わった命。。。

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展示は犠牲者一人ひとりの等身大の人型と彼らの遺品の「靴」。靴は彼らの生きた証の象徴です。(HPより)

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人型には一人ひとりの素顔や遺された家族の綴ったメッセージが添えられていました。

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多くの人々が現実を知り生命の重さを考えてもらうために、日本全国、そして世界各地へと巡回展をしています。(HPより)

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秋田駅中央入口風景。朝9時のスーパーこまちで上京。

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渋谷駅到着、まだまだ工事中でした。ホテルは渋谷駅南口。約10分余り歩く。遠いな~(^_^;)。ホテル到着2時半。

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7月1日(土)、小雨、朝食会場は独特のアジアンスタイル。

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全然気取りが無く、椅子もテーブルも色々あり、好きな場所でゆっくり朝食。今日はどこへ行こうかな?水族館?動物園?美術館?

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向かったのは上野。

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東京都立美術館。ブリューゲル『バベルの塔』展(ボイスマン美術館所蔵)2017年4月18日(火)~7月2日(日)。えっ!明日で終り!

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球形の彫刻?に建物の全景が映ってる♪

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ひゃあ!人が果てしなく並んでる。

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ブリューゲルの最高傑作!!バベルの塔!!

旧約聖書(創世記11)によると、ノアの箱舟で生き残った人々は同じ言葉を話していたが、天まで届く塔を建設しようとして、神が人間の高慢さを怒り、一つしかなかった言語を、コミュニケーションがとれなくなるように、ばらばらに混乱(バラル)させた。今日、世界中に多様な言葉が存在するのは、バベル(混乱)の塔を建てようとした人間の傲慢を、神が裁いた結果とされています。

バベルの塔って天国へ行ける階段?位に思っていたのが失敗でした。また、同時に展示されていたボスの怪物モチーフによる版画等も人間の愚かさを嘲笑った作品(グロテスク)であり、あまり気色いいものではありませんでした。

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どれも撮影禁止で、売店で資料とおみやげを買おうと思ったのですが、売店は黒山の人、更にレジに並ぶ人人人、買うのを諦めて帰りました。

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今回、来日していたのは ピーテル・ブリューゲル (Pieter Bruegel)1世作「バベルの塔」(1568年頃)なんですね。

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ピーテル・ブリューゲル (Pieter Bruegel)1世 The Tower of Babel (1563)。こちらは今回来日の「バベルの塔」より5年ほど前の作品。

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ヨース・デ・モンペル『バベルの塔』 国立古美術館蔵。

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Frans Francken Ⅱ,1581-1642,  Joos de Momper Ⅱ, 1564- 1635  ベルギー王立美術館蔵。

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作者は不詳。色んな画家が謎の多い「バベルの塔」を描いているのが、今回調べて見て分かりました。

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<<空ちゃん近況>>
「外へ出たいニャア♪」と催促する空ちゃん。

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「テレトリー見張ってるニャ」(=^・^=)。「アツいからお家へ入りなさい」。外は31℃、日向は更に気温が高い筈。

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「フ~、アツかったニャ」(=^・^=)。和室の畳の上が空ちゃんのお気に入りです。空ちゃん元気です。

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長~いブログにお付き合いいただきありがとうございますm(__)m。ではまた(^^)/。

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2017-08-06 16:20 | カテゴリ:日記