☆「野の花日記」写真をワンクリックすると拡大してご覧いただけます。

22日(土曜日)、朝、目覚めてホテルの窓のカーテンを開けると素晴らしい晴天でした。
窓から見える長野駅(善光寺口)では、北陸新幹線の長野から金沢までの延伸工事に伴い、駅ビルが建てられるということで大工事の真っ最中でした。長野北陸新幹線は2014年末開通の見込みです。
余りお天気が良くもったいなかったので、朝の散歩に出かけることにしました。
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駅前のメトロポリタンホテルも4月から大改装工事が行われるということでした。
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駅前のバス停の屋根にいっぱいは鳩が並んでました。秋田では鳩を街中で見ることはありません。私が秋田へ引越しをして来てから10年位前まではカモシカが歩いていました。いまだにクマが出没することがあります。森がまだ残っているからです。
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赤い2階建てバス。[JOY STYLE]軽食のお店らしいのですがどんな方が経営されてるのでしょうか。朝早いので開店してませんでした。コーヒーを一杯、赤いバスの中で飲んでみたかったけれど残念でした。 
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角に面した「信州善光みそ」のお店、老舗なのでしょう。威風堂々という感じです。11時に集合、それまで着替えを済ませることになっていたので、30分位の散歩でした。
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ホテルの結婚式場のある3階吹き抜けから見たロビーのコーヒーと軽食の一角。いい雰囲気ですね。
この日、何組もの結婚式があり、ホテル側の方たちがマイクで誘導してました。こんなにいっぱい新郎新婦がいて、よく間違わないものだと感心してしまいました。
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ここで新郎新婦が鐘を打ち鳴らすのでしょう。ホテルの結婚式場に入る前の廊下でパチリ。
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ホテルの教会の中で結婚式が行われた後、友だちに迎えられる新郎新婦、この後バラのピンクと白の花びらが撒かれて…。素敵なカップルです。お互いにパートナーを尊重し、明るく楽しい家族を作っていってほしいと思いました。
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新郎新婦を見送る親戚一同。新郎は車のエンジン開発、新婦はリハビリ療法士、お二人とも時代が必要としてるお仕事ですね。
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テーブルにピンクの桜と白いカラーがアレンジされて。清楚でカワイクパチリ。
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会場はモダン。午後3時からはじまった披露宴の食事はフランス料理でした。食べたことのないお料理なども供され、とても美味でした。
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着物姿の新郎新婦が大きな酒樽を木槌で打ち鏡開きをしました。写真を撮ろうとワッと集まって、私は隙間からパチリ。
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ドレスにお色直しをした花嫁と花婿が会場に入る直前です。
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めずらしい果物とケーキやゼリーがたくさん供されていました。若い女性がどっと集まって…若い男性も…甘いものが好きな方たちがいっぱいいるんですね。
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結婚式のクライマックス、それぞれの両親に感謝の言葉を述べた後、花嫁が花のプレゼントをお渡ししているところです。うれし涙が溢れる新しい家族の誕生です。
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きょうだいみんなで松代温泉に泊まりました。連休で駐車場は満杯状態でした。結婚式でかなり飲んだのに、また一杯飲んでいるところです。この後飲み過ぎと食べ過ぎと「喋りすぎ」で全員疲れて温泉に入らず終いで寝てしまいました。私は少し早起きして、烏の行水をしてきました。温泉ってお湯にゆっくり浸かってこそ温泉なのに…。
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23日(日曜日)朝、手を振るきょうだいに見送られ松代温泉を出発しました。連なる青い山々の向こうに細長く白く見えるのが白馬岳です。写真の端の2本の木の上の白い部分が白馬岳です。夫は白馬山へ登山したことがあると言ってました。
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長野県は365度、山々に囲まれてることを実感しました。
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電車が動き出す10分前、新郎新婦が電車の中までお礼に駆けつけて下さって感謝でした。偶然にも新郎の青森からお祝いにお出でになったご親戚が、私たちの後ろの席にいらしてびっくり、ラッキーでした。

写真は電車が動き出してからパチリ。「ずっといっしょ あなたと 」ずっと一緒って夫婦のこと?それにしては大きさがあまりに違いすぎない? 親子でしょ!親離れ子離れ…ずっとは居られない…というと夫婦?大きさが不公平過ぎない?気にしない…単なる広告ですから。でも…だからこだわるんですけど。
それにしてもこの魚たちの表情ったら必死こいてない?新自由主義の競争社会を自己責任で泳がなければならないんですから、きっと、のんびりなんかしてられないんですね。
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「あれが阿多多羅山」「撮らなきゃ」スマホを取り出したとき既に遅く、それでも何ときれいな空でしょう。智恵子の空でした。
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宮城県に入ると空は曇り出す。山にも畑や田んぼにも雪がない、もうじき緑が萌え出すのでしょう。温かくていいな。
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途中下車した仙台は寒かったです。連休最後の日だからでしょう、アーケード街は肩がぶつからんばかり人人人でいっぱいでした。仙台観光PRキャラクターの「むすび丸」君がいました。おむすびの頭に乗ってる兜が赤い帽子になっていますね。陣羽織も着てません?変ですね。お祭りの半纏姿?本物ではないけど「まっいいか」。
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仙台のデパートでは、「くまもん売り出し」(九州・沖縄物産展)をしてました。
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くまもんキャラクターの付いた品々が並べられて。
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うさちゃんが(*^^)v。いただくことがありますが自分では買わない高価なチョコレートが…。これからは桜の季節ですね。地下のお菓子売り場では様々なきれいな桜のお菓子が売られていました。
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仙台駅で、またもや「くまもん」が!!!こんなにたくさん売ってるのですからさぞ熊本県は儲かってる?仙台ってくまもんが好きなのかな?いや、帰ったら秋田もくまもんグッツだらけのお店があったりして。今や、くまもんが日本中を席捲してる状態ですね。
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仙台駅の新幹線こまち乗り場で撮った、仙台駅前のトワイライト。柱が邪魔ですね。一路秋田へ。寒いだろうな。3日間で秋田の雪が消えてることを念じて…。
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長野のおみやげは赤いリボンがかわいいジャムと小さなクッキーの詰め合わせ、ホテルで買いました。
国民宿舎松代温泉で買ったりんごのダックワーズは、ほんのりリンゴの香りと味がする柔らかで上品なお菓子です。ハートのいちごはまだ開いてません。どんな味がするのでしょう。私のお気に入りは長野駅で買った「善光寺編」に載せてある「おやき」です。
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終わり 
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2014-03-30 13:50 | カテゴリ:日記
ようやく秋田にも春が訪れました。寒い3月でしたね。玄関前の階段の脇で、いつも雪を被りながら咲き始める原種の小さなクロッカスが、長野から帰ってきたら咲いていました。雪も道路わきに少し残ってるだけになっていました。2、3日中に全て消えてしまうでしょう。

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21日(金曜日)、3連休(3月21日~23日)に夫の姪っ子の結婚式が長野でありましたので行ってきました。私は長野へ行くのは初めてです。出発の前日、夫の妹から「長野は寒いので、中には厚めのセーターを着て、コートも寒くないものを着てきて」と電話がありました。私はタートルネックの薄いセーターにコール天のパンツスーツ、秋田ではあまり着用しないファーがついたストールと、これもめったに着ない裏地の付いた長めのコート(キルティングが取り外しできる)と皮手袋でスーパー秋田こまちに乗って出かけました。

この写真は田沢湖駅を過ぎた所です。遠くで除雪している赤い作業車が見えますね。川の流れも凍えてるように見えます。
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秋田杉の林は今は間伐する人もなく放置されてるところが多くあります。杉林は写真でも分かりますが、太陽の光が射さず昼なお暗く、さまざまの雑草や雑木が育たず、動物たちの食糧となるものがないので、従って動物は住めないんですよね。杉林によって生態系が破壊されてるともいわれています。杉・ヒノキ林は戦後国策としてブナなどの広葉樹を伐採し造林されたものです。今や人工林は全森林の41%にも及び、春とともに一斉に花粉を飛ばし、花粉アレルギーが全国的に蔓延する結果となってるのですね。
私は「木都能代」(昔は木材会社がたくさんありました。)で育ったので、バブル期の外材輸入など目の当りにし、自然と日本の森林・木にも関心を持つようになりました。能代は木材会社が昔日の影もなく少なくなりました。
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雪降る山々。
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きれいと見るか?寒いと見るか?
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色のない墨絵の世界。…毎日がこんなだと外にも出られずうつっぽくもなってしまいますね。
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少し居眠りしてしまい、目が覚めると福島県でした。空の青さに見入ってしまいました。秋田に住む私は青空に飢えてるんです。
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宮沢賢治の七つ森ではなく、七つの雲が並んで…。
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その雲がどんどん大きくなって…車窓から見える雲で遊んでしまいました。
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栃木県宇都宮駅で乗り換えて長野県長野市に近ずくと空が雲に覆われはじめました。周りの山々には雪はありませんでした。手前の流れは犀川でしょうか。
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長野駅に近くなると、すっかり曇ってしまいました。やっぱり寒いのかな?完全武装で長野駅へ降り立ちました。
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善光寺へ。善男善女になって(*^^)v。外気温は1~2℃でした。寒いんです。ダウンを着た人、ヌクヌクですね。
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私も階段を登ってワンコインを大きな賽銭箱にポンと入れて拝んできました。戦争が起こりませんように。戦争が無くなりますようにと。まったく他力本願(^_^;)です。横で男の方がパンパンと柏手を打っていました。今は神仏合体?お寺で柏手を打つ人が増えてると聞いたことがありますが、そのうちOKになっていく気がします。
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私も手でけむりを頭へかける。ボケませんように。
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これは撫で地蔵です。たくさんの人が撫でるので、ピカピカです。ここでは、ご夫婦が全身を一生懸命撫でていました。「もう悪いところだけで」と笑っていましたが「全身取り替えたいくらいですね」と、私が言うと爆笑してました。私はひざとお腹を撫でてきました。
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さすがに立派ですね。豪華で煌びやかですね。
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大きなお地蔵様ですね。善光寺には鳩がいました。
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六地蔵
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庭園も素晴らしいです。
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大きな赤松の前のお地蔵さまです。私が住んでた能代の家には黒松の木が植えられ、門の側らの1本だけが赤松でした。赤松の松の葉は年中黄緑色を帯び、葉が柔らかいのです。
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水子地蔵です。何か明るい飾りが見えると思って小さな坂を折れると、不運にも生まれることができなかった子ども(水子)に捧げるおもちゃがいっぱい掛けられていました。風で風車がカラカラと廻っていました。生花が手向けられていました。ここへ来られた女の人の悲しみと心の痛みを思わずにはいられませんでした。
流産・中絶ともに女性にとってはトラウマになってしまうことが多いのです。中にはなかなか回復できなく罪悪感のためうつ病になってしまう女性も居ります。相手の男性にはなかなか理解できないことです。だから女の人は余計悲しく辛いのですね。
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木の橋の真ん中に敷いてあるのはござ畳です。滑らないように敷いてあるのでしょうか。歩くと音もせず絨毯のように足には優しかったです。
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善光寺表参道に面した善光寺の門です。
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門を潜り抜けてから、みぞれが降り寒く手が凍えかじかんでしまいました。お土産売りのお店で、ふかふかに湯気を上げてる蒸し器のおやきを買って、勧められるままに歩きながら食べると、ようやく温まりました。
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石板には善光寺参拝50回記念東京月島七福神講と書いてあります。信仰心が厚いのですね。木の枝にはおみくじがかけられています。商売繁盛、家内安全と祈ったのでしょう。
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宝物展覧、中にお寺の宝物があるのでしょうね。
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小さな可愛いお地蔵さんといっしょに、狸がこれまた数珠をもって手を合わせてます。どういう意味が込められてるのでしょう。賽銭箱に100円納めました。
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大本願の石碑と合格祈願の赤い旗が。きっとお祓いして下さり「合格成就」などのお札がいただけるのでしょうね。
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「兄部坊」と書かれてる建物です。白い紙には善光寺参拝○○○様とかかれてました。みぞれが降りしきっていました。
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同じく「○○坊」、やはり善光寺参拝○○様と書かれていました。お休み処なのでしょうか?3階建てで珍しいのでパチリ。
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善光寺表参道の街並みです。レトロな感じのお店が並んでいます。
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長野駅へ行けるかと思って角を曲がるとそこはアーケード街でした。お花屋さん、洋服屋さん、野菜果物屋さん等が並んでましたが、シャッターが下りてるお店もかなりあり、人どうりが少ないのも変と思い「駅へ行きたいのだけど」と聞いてみると「ここではない」とさっき来た表参道へ戻りました。
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「信州煙火工業」って何?振り返ると「趣味の民芸ふじわら」と看板に書かれ、花火の尺玉が飾られていました。珍しくてパチリ。
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このお店は「美術銅器植木商店」骨とう品や掛け軸やお雛様、ウインドウの向こうに背が高い袴姿の銅像が見えますが、これは松代の思想家、佐久間象山の像です。象山神社に祀られています。掛け軸の前に小さく見える像は、薪を背負って書を読む二宮金次郎です。二宮金次郎の像は私が小学校一年生の当時、どこの小学校の玄関にも建立されていました。その前を通るとき、必ず一礼をしたものです。戦後、天皇のご真影と修身教科書に載っていた二宮金次郎の銅像が完全に撤去されました。
青い着物の童子像は横山大観の「無我」でしょうか。昔「無我」が切手になったとき、こんな絵があるのかと感動しました。切手は二枚だけですが大切にとってあります。「無心な童子」に見入ってしまうことがあります。
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近代美術シリーズ・横山大観「無我」(1983年発行)60円切手
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「絵解き寺かるかやさん西光寺」と看板が掲げられていました。赤い旗には「善光寺七福神【寿老人】かるかや山西光寺」と何やらおめでたく書かれてます。緑の屋根に赤い柱、赤い大きな提灯、赤い旗、面白そうでどんなところか寄りたかったのですが、1万歩近く歩いた足がビリビリしはじめ、寄ることは叶わずでした。、
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秋田ではとんと見かけなくなった公衆電話がありました。レトロな雰囲気が素敵ですね。
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21日は前泊を取っていたので、おばあちゃんから孫、ひ孫、きょうだいが集まり、長野駅前の「食事処飛騨」で、飛騨料理に舌鼓をうち、飛騨の銘酒「鬼ころし」で祝杯を挙げ、賑やかな前夜祭をしました。明日、22日はいよいよ結婚式です。
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これは22日(土曜日)朝の散歩時に撮った写真です。飛騨には昨年の9月初旬に、きょうだい揃って3泊4日の旅をした際、寄ったところです。この佇まいが懐かしい気がして寛げました。お店も結構流行っていました。
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結婚式編へ続く

2014-03-27 14:20 | カテゴリ:日記
私は上野千鶴子さんの2冊の本をご紹介して、「リハビリと私」を終わるつもりでした。

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★山梨市『上野千鶴子さん講演中止事件』

ところが、3月15日、Yafoo!ニュースで「山梨市から昨年10月に依頼を受け3月18日に予定されていた上野千鶴子さんの市民講演『ひとりでも最期まで在宅で』が中止になったというニュースをみて、何と時代の流れに反した市長(今年の2月当選した望月清賢市長)だろうと驚きました。上野さんは社会学者であり、早くから高齢者や介護に関心を寄せ、「老人学」を誰よりも深く研究されてる方です。
この度の、山梨市の講演のテーマは「介護や最期までひとりで生きる心構え」を語る予定でした。既に申し込みが164人(人気があるんですよ)もあったのに、「公費でやる講演にふさわしくない」というメールが10通あったということで、朝日新聞の「なやみのるつぼ」過去の思春期の少年の性欲の悩みに対し、異性との付き合い方を書いたコラムと、『セクシイギャルの大研究』(1982年光文社)『スカートの下の劇場』(1987年河出書房新社)などの本のタイトルが気に食わないという市長の判断で、中止となったのです。
ああ!びっくり!この2冊の本も、余りに昔出版されたものだけに、因縁をつけようと思えば何でもいいんだということですね。

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この3冊も読んでいただければ、上野さんがまじめに人が老いてやがて死にゆくときまで、どうやって自分らしく、人間らしく(ともすれば物として扱われますからね。)生きるか、問うてきたことが分かります。
山梨市の市民も年は取るのです。いくらエイジレスといっても、やがて人間は死ぬ運命にあるのです。上野さんの笑かしながらのスピーチから、沢山の知恵を得る学習の機会を市長の一存で中止したのは、市民にとって大きな損失だと思います。
なんか、今後、色々問題が発生しそうな気がします。市民、特に高齢者にとって受難の日々となりませんように。

以前、男女共同参画基本法に対して、「男と女は違う存在。それを男と女が平等だと主張することはけしからん」と、厳しい『バックラッシュ!』(2006年双風社)の嵐が吹きすさんだことがあります。「ジェンダーはもちろんカタカナ語はいかん」と、まるで戦時下のような言語統制があり、日本中の行政が殆どこの要求をのみ「ジェンダー」という言葉をつかわないという時期があったのです。今は下火になってきましたが、まだまだ燃えカスが残ってるのが現実です。カタカナ語を日本語に直訳するにはかなりニュアンスが伝わらず、不正確な言葉になってしまう恐れがあるのです。
山梨市に、バックラッシュが超遅くというより、新しい嵐が到来したのでしょうか。

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★今日3月17日、夕方5時帰宅してすぐYafooニュースを見ると、上野千鶴子さんの講演が18日行われると報道されていて、よかったです。粘り強い上野さんは18日を空けてあり、ぎりぎりまで再開を待つということでした。市民からは講演再開の要望が多く寄せられ、市長が折れ、16日、上野さんに再開をお伝えしたとのことです。これ以上言われるのは嫌と、市長のコメントなしです。
バックラッシュが杞憂に終わることを願っています。

★山梨市公演中止撤回について ちづこのブログNO66
(http://wan.or.jp/ueno/) 
4月3日、上野千鶴子さんがこの経緯を後日談としては発表されてます。
WAN(ウーメンズ・アクション・ネットワーク)サイト上の「ちづこのブログNO66」に掲載されてます。『DV・マリコのかけ込み部屋』のリンク先ページからお入りになってぜひご覧ください。

以下にその一部を引用します。

★ふりかえって今回の出来事を考察してみましょう。 自治体による「講師ドタキャン事件」は枚挙にいとまがありません。故松井やよりさんの千代田区講演中止事件(2001)、辛淑玉さんの台東区講演中止事件(2001)、上野が関係した国分寺市事件(2006)、平川和子さんのつくばみらい市講演中止事件(2008)等々。今回の山梨市事件は、いったん自治体首長が中止の決定をしたものを撤回させたという前例として、歴史に残るでしょう。それにしても地方の自治体はこういうふうに名前が残るのですね。不名誉なことです。自治体首長としては、賛成・反対両方の市民の声を聞いたうえで、「柔軟な対応」をしたとして、評価に値するでしょう。★

★これまでだって、冒頭にあげた講師ドタキャン事件のほか、福井県ジェンダー図書撤去事件、堺市立図書館BL図書撤去事件、「はだしのゲン」撤去事件、豊中市非常勤館長解雇事件など、バックラッシュは枚挙にいとまがありません。「クサイ臭いは元から絶たなきゃダメ」なんですが、この件が最後になるとも思えません。これからも当分「もぐら叩き」に走りまわるしかないでしょう。★

なお『スカートの下の劇場』は新しく出版された『女ぎらい』(2010年紀伊国屋書店)と一緒に本屋の棚に並んでいて驚かされるのですが、興味本位に読まれてるのかも知れません。『スカートの下の劇場』よく古本屋の棚でも売られていました。買ってはみたものの「女性学」では期待外れだったのでしょう。本のネーミングは出版社の売るための作戦なのでショッキングな題名になることもあるんですよね。
『女ぎらい』もとげとげがついた文字でいかにも女が嫌いという装丁ですね。私も男は女が嫌いだからわざわざ結婚したのに暴力(DV)を振るったり、レイプできるのだと思っています。女性が好きだったらこんな残酷なことはできませんよね。


★昨日、16日の午後はゾンタクラブ主催の講師狩野弁護士のDV講座に、ご丁寧なご案内のお手紙をいただいていたので参加する予定でしたが、DV相談が入り、残念でしたが参加できませんでした。
当事者間の相談は夕方終わったのですが、その後、大声を出す親族に押しかけられ、お断りしたにもかかわらず、玄関に鍵をかけ忘れていたので、既に玄関に入って立っていて本当に驚きました。感情の抑制が効かず思いのままに暴発する人間って、何をしでかすか分からないから、やっぱり怖いですね。その後相手方にも押しかけ騒いだようで警察を呼んだと連絡がありました。この騒ぎがおさまったのは夜の10時すぎでした。
こんな騒ぎは今までないことでした。

実はこの件は、15日の夕方から一晩がかりで携帯でやり取りがあり、それが突然の面接になったので、お蔭で予定していた仕事ができず、とうとう徹夜をしてしまいました。体が持たず、2時間くらい横にはなったものの、神経が立っていて眠ることはできませんでした。

★17日、お昼の12時から国際ソロプチミスト秋田のみなさんの例会で、皆さんにお配りする資料を持参で、「DV基礎講座:女性と子どものSOSが聞こえますか?」の講師を務めてきました。みなさん別世界の話を聞くように驚いて居られましたが、DV被害女性は3人に1人、3日に1人の女性が殺され、1週間に1人の子どもが虐待によって死んでることを伝えると、会場がどよめきました。
国際ソロプチミスト秋田のみなさんの周りにも、必ず被害者がいるという事実を踏まえ、DV暴力がどういうものか知ることにより、誰か助けを求めたとき、その手を温かく握り返し、力になって支えてほしいと伝えました。手応えはあったような気がします。

講話を終わって、向かった先は「25年度分確定申告」手続きのため労働福祉会館へ。もう今日17日が最終日なので、人が溢れ階段まで人が並んでる有様でした。私は、こういうのは不得手で、どこへどう区分するのか分からなく、下準備はして行ったのですが、結局2時間近くかかりました。税務署のみなさんはとても親切で助かりました。4時で受付終わりなので、4時10分前だったのですが階段を急いで登っていく人たちが結構いて、皆さん仕事をしていて忙しいんだなと思いました。
この前のこの日記で、さっさと歩けるなんて自慢してたのですが、帰りは寝てないのが響いてカバンの書類や資料が重く、だらだら歩いてると、みんなが私をさっさと追い越していきました。早く歩きたいのに歩けないほど疲れていました。

幸い夫が「きりたんぽ鍋」を作ってくれていて、ご馳走になってパソコンに向かっています。夫に感謝です。
今夜はホットラインです。また眠れない夜が続きます。人には無理しないでと言いながら、私自身が無理してるなと思います。紺屋の白袴ですね。

また『リハビリと私』に戻りますね。今日が最終回です。

下の写真は昨年9月24日、北秋田市の太平湖へ町内の「ななかまどクラブ」の仲間と一緒に行った時の写真です。
これは太平湖へ向かう途中の阿仁の山々です。杉の木が少しありますが雑木が多く、いかにも熊やカモシカやイノシシがいそうな山ですね。雑木の山は動物たちの食糧が豊富にあるんですね。
最高の青空に月が白く輝いていました。
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太平湖は森吉ダムの建設によってできた人造湖です。小さな遊覧船に乗り小又狭へ向かいました。太平湖は観光化されてなく人造湖というものの自然いっぱいの素晴らしい湖です。
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湖には13の渓谷渓流があり景色満点、ごつごつした岩や細い山道は険しく結構スルリ満点でした。
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岩盤はところどころ滑るので足元要注意でした。
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水の流れる音、鳥の声、涼やかな風、野の花、「ななかまどクラブ」の仲間以外は、ほとんど会う人もなく貸し切り状態でした。
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岩盤の上に座り、これから昼食です。Aさんが大きなリックからコーヒーセットを取り出して、入れて下さったコーヒーが思いがけなく、とてもうれしく美味しかったです。
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ダム建設時に作られたコンクリート製の四角い橋桁に厚い板が重ねて渡してある橋を渡ってます。
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渦巻く水の美しさに魅慮されました。
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突然太平湖の話になって、「何?」と思われたことでしょう。
実は昨年の4月の「ななかまどクラブ」の総会で、太平湖へトレッキングに行く計画の発表があったとき、「とても私は参加できない」と思っていたのです。ななかまどクラブの仲間での週2回のウォーキングでは、坂道は誰より遅くなり、公園の急な階段は登れない状態だったからです。
でも目標があるということは良いことですね。耳鼻科の主治医の言葉通りでした。目標があると気持ちがキリっとなってがんばれるんですね。
現在は近くのスーパーの3階まで階段を手すりに掴まらず登り降り出来るようになりました。エレベーターやエスカレーターには重い荷物がない限り乗らなくなりました。

私の体験したことでよかったことなどを書きますね。脚力やひざに問題がある方のご参考にしていただければうれしいです。
弱った足のひざには、ひざ体操が一番効果がありました。『痛み解消!ひざ体操(NHK今日の健康)』を参考に3種類の体操を毎日続けました。1日3回と書かれてましたが、私はほとんど夜1回だけ、ストレッチを入れて(30分くらい)ですが、確実に足に筋肉がつき歩くことが楽になりました。

以前、膝の痛みで赤十字病院へ行って診てもらったとき、膝に年齢相応の骨の減りがあり、筋肉をつけるよう膝の簡単な体操を指導されたことを思い出しました。担当医師は注射はもちろん薬も一切出しませんでした。私も今は膝にとって一番効果があるのはひざ体操をして筋肉をつけることだと思っています。

マッサージはそのとき一時的に気分がいいだけだと思います。お風呂も血液循環を良くし有効です。膝は冷やさない、温めることも大事だと実感してます。そのため簡単なニットのサポーターを着用しています。

また友達が効果があると教えてくれた、マシン「レッグマジックX」で60~100回、足を左右に開閉する運動もしています。これは大腿部に筋肉が確実につきます。1万円くらいで買えます。パンフには60秒スイスイできると書いてますが、とてもきつい運動です。だから効果があるのですね。類似品があるのでご注意ください。

姿勢を正しく保てるようにストレッチを、レンジでチンを待つ間とか、お風呂上りとか、寝る前に毎日してます。

昨年の夏、早く治したいと思い近所の整形外科(医師との会話なしの流れ作業でした。)でヒルアロン酸を1週1回、5回にわたり膝に直接注射してもらいましたが、私には全然合いませんでした。結局注射をすると当日から3日くらいは激しい痛みがあり、その後も痛みは続き、ウオーキングができなく逆効果でした。ひざが腫れていたのでひざとひざ裏、大腿部に張り薬を貼っていました。5週間も歩かなかったら、脚力が減退してしまったというのが事実でした。
現在はひざが腫れることもなくなりました。

耳の三半規管にヘルペスができて51日間の入院生活をし、バランス感覚と体力と脚力を失ったのは6年前でした。平衡感覚と筋力を取り戻し体力を回復するまで6年かかりました。たくさんの方から鞄を持ってもらったり、その他さまざまなことに配慮していただき助けられて、現在の私があります。ありがとうございます。感謝あるのみです。

今も耳の中で蝉や鈴虫が鳴いてますが余り気にならなくなりました。めまいを意識することもほとんどなくなり、たまにグラリと揺れることがありますが、普通に日常生活を送れるようになりました。
やっぱり『日常生活即リハビリ』ですね。これからも「私にはできない」と尻込みせず、チャンスと必要があれば何にでもチャレンジしていきたいと思っています。「継続は力なり」を実感しております。

最後になりましたが、一緒に歩き、一緒に笑えあえる仲間の「ななかまどクラブ」のみなさんの友情に感謝です。ほんとうにありがとうございます。たくさんの情報と力をいただきました。これからもよろしくお願いします。
長い長い日記『リハビリと私No1~No7』はこれで終わります。付き合って読んでいただきどうもありがとうございます。

2014-03-19 04:50 | カテゴリ:リハビリ
3月7日(日本時間8日午前1時過ぎ)ソチパラリンピックがはじまりました。再び聖火台に灯がともりました。参加国は47か国、懸念されたウクライナ選手団も参加し、ほっとしました。政治的には全然予断は許されませんが。
選手たちの努力と勇気と負けじ魂の結晶である競技はきっと感動してしまうと思います。

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写真では分かりにくいですが、ソ連中から集められた少女のバレリーナがダンスで作った雪の結晶です。雪の結晶はいろいろな形に変わり、見とれてしまいました。
空中に浮かぶピンクの風船に吊り下がったブランコに乗り、赤い裾がひらひらする洋服を着た女性が会場を浮遊するという火の鳥ショウも同時に繰り広げられました。壮大な演出です。

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急いでスマホで撮ったら画面がこんなになってしまいました。この後、整然とした行進がそれぞれ縦、横、斜めと自在に繰り広げられ、よくぶつからないなと感心してしまいました。この演出の指導者は日本人であると聞き誇らしかったです。(以前、テレビでこの自在な行進を大学生が行っていたのを見たことを思い出しました。)
行進(きっと名前があると思いますが)の後、風にたなびく青、白、赤のロシア国旗になりました。
白は高貴と率直の白ロシア人を、青は名誉と純潔性の小ロシア人を、赤は愛と勇気の大ロシア人を表します。
旗の3色は汎スラブ色として、多くのスラブ系諸国で用いられています。

ソチパラリンピックのテレビ放送が本当に少ないですね。こんなページを見つけました。
【何ひとつあきらめない。だからその人は強い】
ソチ2014パラリンピック冬季競技会 
http://www.sukachan.com/paralympic2014/

NHK福祉ポータル ハートネット 
http://www.nhk.or.jp/heart-net/special/sochi/index.html

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さて、「リハビリと私」をまたまた続けます。
『完全図解 介護予防 リハビリ体操大全集』大田仁史編著 三好春樹編集協力 2010年 講談社 
私はこの本を東京青山のクレヨンハウスで買い求めた。とにかく大きく重い。量ってみたら1,4kgあり驚いた。帰宅して夫に見せたら「何を考えているんだ?何するつもり?」と言われた。「見ればわかるでしょ」「・・・・・・」夫は呆れていた。でも私は真剣だった。再生が老いに追いつかなくなる日、その時のために知識は必要であり、生活に役立つと考えていた。
モデルハウスを買ったとき、家の玄関前に何本も旗が立てられていた。その旗に書かれていた言葉が「クオリティ・ライフ」であった。家には、玄関や廊下、階段、トイレ、風呂、洗面所等にすべて手すりが設置されていた。その当時、50代後半だった私は「なんぼなんでも早すぎるな」と手すりを見て思っていた。しかし、「備えあれば憂いなし」であった。10年後手すりは役立ち、私は助けられた。

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はじめに
 高齢者は、加齢にともなってさまざまな問題に直面します。(中略)疾病と運動器疾患が重なりあって、介助なしに日常生活を送れない人もいます。障害や病気を苦にして、閉じこもりや寝たきり生活に入ってしまう人も少なくありません。
このような人に総じて言えることは、からだを上手に動かすことを知らないことです。困難や障害があっても、最低限の筋力さえあれば、からだの動かし方を工夫するだけで質の高い生活を送ることができるのですが、こうしたことはあまり知られていません。(引用P2)

これを読んだとき、深いため息が出ました。情報社会と言われながら、人が人らしく生きられる基本情報がすっぽり抜けていると思いました。だから、私は長いリハビリ日記を書いてると言えます。高齢になったからと言って、「こんなものさ」と、むざむざ生きることを諦めてほしくないのです。
私はふらつくと、友人たちは「私もそうよ。年を取ればみんなそうなる、同じよ」。たぶん励まして言ってくれたのだとは思うが、自然な老化とは確実に違う、まして同年代の友人がこんなに思わぬ方向に体が傾き、足がもつれることはないはずだ。老化現象だと納得はしたくない。年を取ったから抵抗力が落ちて3半規管にヘルペスができた、そのため耳が聞こえが悪くなるのはある程度いた仕方がないことだが、歩くことが酷く不自由になることは、断じて許しがたいことだった。
この本は高齢者がクオリティ(生活の質の高さ)ライフを保つための知識の宝庫であり、すぐ実践できるように実に優しく詳しく書かれています。3800円という値段も決して高くないと思います。

わが家の周辺にも介護施設が竹の子のように建設され続けています。秋田は介護施設数においても日本一ですから、我が町はその秋田の中でも施設が一番多いと思っています。
倒れてから介護ではなく、必要なのは「寝たきり予防センター」だと思います。病気になっても寝たきりにならずに回復できることをもっと高齢者はもちろん、周囲の人が知る必要があります。

介護施設は超高齢老人大国にあって、これからも儲かると踏んで建設が続いてるのですね。「寝たきり予防センター」は?金にならないんでしょう。ではどうするか?政治的に予算をつけて、国並びに都道府県、市町村が作ればいいんです。介護施設に莫大な補助金を出しているのですから、そこの考え方を改めないといけないんですね。
ちゃんとした運動指導ができるインストラクターやリハビリ作業療法士や福祉士を臨時職員などケチなことは言わないで正職員として雇用し、誇りを持って働けるようにすればいいんです。
介護師や看護師等、人の命を扱う人たちの待遇が劣悪だから定着せず、常に現場は人手不足状態なのだと思っています。苦労に応じた、報酬が必要なのです。この人たちの賃金は安すぎです。

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いきなり100歳まで生きるという本を2冊も並べられて驚かれたことでしょう。
『めざせ100歳 ! ~いつまでも健康で長生きできる31の秘訣』デービット・マホニー/リチャード・レスタック著樋口恵子[監訳] 門脇恵実[訳] 2001年初版本 (サンブックス)
樋口恵子さん(評論家81歳)については「リハビリと私No2(2月4日)」の日記に『花婿学校』校長だったということを書きましたが、行動の人です。全国組織の「高齢社会をよくする女性の会」理事長であり、「女性と仕事の未来館」初代館長でした。『ぬれ落ち葉』(定年退職後、仕事ばっかりだった男性が新しい人間関係を作れなくて、妻にべったりついて歩くこと。)は樋口さんの造語です。1985年には流行語大賞新語部門:表現賞を受賞しています。また、石原慎太郎の【ババア発言】に怒り、2003年の東京都知事選に立候補しましたが、残念ながら大差をつけて石原氏に敗けてしまいました。

驚いたことに77歳の時腹部動脈瘤を3か所切除し4時間余り大手術をされてたことです。医師曰く「世界で一番痛い手術だ」と聞かされたとのこと、24日入院し5㎏減、コブを取ったら「小ぶとりばあさん」など、周りを笑わせていましたが、実は大手術後、24時間も経過しないうちに、100m歩かされるという鬼のリハビリが行われたのでした。お蔭で、1週間後もう講演に九州まで行かれたのでした。『人生100年時代』を提唱してる自分が77歳で死んではいられないと思ったそうです。

費用は500万、しかし高額医療制度などに助けられ、実際かかった費用は15万くらいだったそうです。と言うのは、先進手術を誰でも受けられるということですよね。ただ、高度の医療を施せる病院施設が近くにあるかどうか生死にかかわる大問題なのですね。

『めざせ100歳!』では、「リハビリと私NO4」に述べたノーマン・カズンズ氏『死の淵からの生還』(P122)についても触れられています。
(この項追記あり。)





    宮沢賢治  「疾  中」(しっちゅう)より

      〔手は熱く足はなゆれど〕

    手は熱く足はなゆれど
    われはこれ塔(たふ)建つるもの
    
    滑(すべ)り来し時間の軸(ぢく)の
    をちこちに美(は)ゆくも成りて
    燦々(さんさん)と暗(やみ)をてらせる
    その塔のすがたかしこし


2014-03-09 04:55 | カテゴリ:リハビリ
3月7日(金)、先ほどまでの吹雪で、また一面の銀世界になりました。3月になると秋田では春に憧れ、いち早く厚いダウンやオーバーを脱ぎ、軽いコートに着替えるのですが、今年はまだ皆んな冬のコートを纏っています。なかなか寒いのです。私も厚いフード付きダウンを着ています。

午前中の激しい吹雪が止み、一息ついてる外の景色。家の近くのこの通学道路は融雪道路になってます。灰色の雪雲が垂れこめています。
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せっかく咲いてたパンジーとビオラが今日はすっかり雪を被ってしまいました。
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また、私のリハビリ日記を書きます。
私は退院してから居間のソファアから立ち上がろうとして尻もちをついたり、カーテンを開こうとして引いた方向へ体が倒れたりしていた。食事作りは立っていればいいのでできたが、これも冷蔵庫から野菜や冷凍食品及び調味料を出すため屈むことができなかった。床下のじゃがいもや玉ねぎを出すのは、つんのめって吐きそうになった。
洗濯をして、洗濯物を2階のベランダまで運ぶことができなかった。自ずと夫の手が必要だった。

『生活即教育』→『生活即リハビリ』。羽仁もと子精神が、俄然私の中で燃えた。

羽仁もと子著作集 20巻 赤い布地に平福百穂(ひらふくひゃくすい・秋田県角館生まれ)が描いた美しい装丁の表紙が見えるようしてあります。角館には百穂の美術館があります。
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羽仁もと子さんの著作集20巻の中で、繰り返して書かれているのは『生活即教育』である。私は全国組織である『友の会』(毎月発行の雑誌『婦人の友』購読者で構成する)に、羽仁もと子生誕100年展覧会を秋田へ見に来て、その生活合理化と精神性に触れ、即入会した。
そして、30代半ばに「能代友の会」を設立した。子育て期の心の支えになったのは羽仁もと子精神であった。若かった私は月2回集まり、友の会の仲間と一緒に繰り返し著作集を読んでいた。

私は国家公務員として38年間仕事をし、退職してから秋田へ転居して来て「秋田友の会」へ入会した。だが、会の厳しさに楽しさと遊び心が見いだせなくて、間もなく退会した。今まで普通と考えていたことが通らない窮屈な世界だった。「楽しくないことはしない」「自分を追い詰めない」「杓子定規には生きたくない」という私のポリシーに反した。「楽しくないことは続かない」という言葉は羽仁もと子さんのことばである。

共働きで、右往左往していた私にとって、合理的な家事を学べたことは本当によかった。『寝る前の家』『朝の家』等、時間の使い方は今も私の中では継続されている。そして『思想しつつ生活しつつ』2巻から4巻のこの3冊に、もっとも私は影響された。
みんなで子育てした想いで多い「能代友の会」は、私が秋田へ移り住んでから間もなく解散してしまった。
「能代友の会」と「秋田友の会」での素晴らしい個性を持った方たちとの出会いは、私の生活と人生に豊かさをもたらしてくれた。今も深く感謝している。

『婦人の友』は家計簿で有名であり、しばしば新聞紙上等に取り上げられ、ご存知の方も居られると思う。羽仁もと子さんは『自由学園』の創立者である。
長女説子さんと結婚した羽仁五郎氏は学生運動の最中に『都市の論理』がベストセラーになり、私もかじった。
息子はドキュメンタリー映画監督の羽仁進氏、孫の羽仁未央さんは学校へ行かないで家庭で教育を受け、義務教育を終えた方です。

羽仁未央さんは「不登校を悩み恐れるなかれ」の実践者です。学校へ行かなくても、人は一人前になれるのに、大人が寄ってたかって「病気だ!何だ!かんだ!」と騒ぐから、子どもが不安になり問題が発生するのです。大人が一人前をしっかり生きてないから、自信喪失していることがより問題を複雑に大きくしてるのだと思います。
「不登校」も「ひきこもり」も、その人にとっての事情があり、その人の生き延びるための究極の適応なのです。悪いことではありません。悪いのはこれを非難し追い詰めて、家庭の檻に閉じ込めて潰してしまう建前社会の大人たちです。
少子化社会が問題視されながら、生まれた子どもがむざむざ見捨てられてるのが日本社会ではないでしょうか。

話がそれてしまいました。リハビリに戻しますね。
羽仁もと子さんの『生活即教育』をもじった『生活即リハビリ』をスローガンにして、私はよろめきながら日常生活をはじめた。「~だからできない」という言い訳は使わないことにした。
ただ困ったのは、薬の副作用で口の中が苦く、渇き感があったことである。始終何か口に入れてないと苦さが増して吐きそうになることだった。しかし、私の生活全体から見たら、それは極一部分のことであった。こだわってはいられない。とにかく、普通に歩きたかった。

私のリハビリ生活に希望を与えてくれた本を紹介します。
『癒やす心、治る力~自発的治癒力とは何か』アンドルー・ワイル著 上野圭一訳 1995年発行(角川書店)には、「なぜ病気になるのか」という質問に対する手短な答えは、「アンバランスを引き起こしている力または状況が、バランスを回復する治癒系の能力の限度を超えてる場合があるから」ということになる。(P162引用)
つまり、耳の三半規管へのヘルペスは、「ストレスの多いアンバランスな生活をこれ以上続けていては命が危ないぞ」「ライフスタイルが間違っているよ」という、私の身体からの警告だったのである。

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『脳を鍛えるには運動しかない!~最新科学でわかった脳細胞の増やし方~』ジョンJ・レイティ 野中香方子訳2009年(NHK出版)
第1章 革命へようこそ……運動と脳に関するケーススタディ
第2章 学習……脳細胞を育てよう
第3章 ストレス……最大の障害
第4章 不安……パニックを避ける
第5章 うつ……気分を良くする
第6章 注意欠陥障害……注意散漫から脱け出す
第7章 依存症……セルフコントロールのしくみを再生する
第8章 ホルモンの変化……女性の脳に及ぼす影響
第9章 加齢……賢く老いる
第10章 鍛錬……脳を作る
第11章 鍛錬……やり通すこと

 ☆もし運動が嫌いでも落ち込むことはない…遺伝的にそうなっている可能性もある。2006年ヨーロッパの研究者が双生児について身体活動のレベルを比較した。その結果、彼らが運動好きかどうかは、62%が遺伝に由来することが分かった。
またほかの研究により、運動するときの感覚を楽しめるか、一度始めたらやり通せるか、運動して気分が劇的によくなると感じるかどうかということさえ、遺伝子が影響することが分かっている。
中でも研究者が注目するのは報酬とやる気にかかわる神経伝達物質であるドーパミンに関連する遺伝子と、BDNFの生成をコントロールする遺伝子だ。(中略)
……誰でも行動を起こすことによって脳の配線を繋ぎ直すことができる。子どものころのように簡単にはいかないが、確かに可能なのだ。

 ☆運動するとドーパミンが増え、しばらく定期的に続けると、脳の報酬中枢にあるニューロンが新たなドーパミン受容体を生み出し、さらに運動していこうという動機が芽生えてくる。新しい神経回路が作られたり、しばらく使わなかったため錆びついていた経路が磨き直されたりし、ほんの数週間で一つの習慣が根づく。
 運動は自分を鍛え直す手段となり、それによって遺伝子の束縛を断ち切ることができる。実際のところ、遺伝子は複雑な方程式の変数の一つにすぎず、ほかの多くの変数をあなたはコントロールできるのだ。(中略)
以前、定期的に運動していた人の海馬は、運動を再開すると急速にその活発な状態に戻ることができるのだ。毎日運動できればベストだが、休み休みでも運動すれば驚異的な効果がある。「毎日やるか、まったくやらないか」というものではないということを肝に銘じてほしい。(P326~328)から引用。

私は幸い大型スーパーの近くに住んでいるので、そこで歩行訓練をすることができた。歩くと太ももの後ろ(大腿二頭筋)とふくらはぎとアキレス腱が痛かった。特に左の膝が痛かった。もし、女性の平均年齢まで生きるとしたら、あと20年もこの痛みに耐えなければならないのだろうか?高齢者と呼ばれるようになって、肢体が不自由になるのは当然なのだろうか?20年痛みに耐えるなどできない!!私は自分の身体に強く反発した。このままで生きて行きたくない!!私は何よりも生活の第一目標をリハビリに置いた。

私は毎日、毎日、夫から近くのスーパーへ送迎してもらった。スーパーの中は物(販売商品)が溢れていて、私は商品の方に転びそうになるので、陳列棚、ショウケース、ガラスのウインドウから離れて歩いた。歩いているとみんなが私を追い越して行った。私は誰よりも歩くのが遅かった。
スーパーの2階には手すりがあるので、そこで歩行訓練をした。長くは歩けないので、よくトイレの赤ちゃんコーナーにあるソファで休んだ。2000歩ほど歩くと疲れた。

当時まだ、2000年に立ち上げた「女性学スペースミズ」というグループの世話人をしていたことと、秋田ウィメンズネットの『あうん通信』を発行するため秋田男女共同参画センター(ハーモニープラザ)のあるアトリオン6Fへよく行っていた。よろめく私はセンターの廊下の窓のふちにも助けられた。
「マリコさん。危なかっしくて見ていられないよ。杖を買ったら?」と言われ、周囲を安心させるために、ミズノのワイン色の3つ折りの杖を買った。しかし、この杖はほとんど使わずじまいだった。

日本フェミニストカウンセリング学会と全国女性シェルターネットの大会や研究会へは、全国どこでも出かけて参加した。度々上京していたが、駅ではエレベーターを利用し、電車は混雑を避けて一度電車を見送ってから乗り込み、座席を確保するようにしていた。めまいと足のふらつきで電車を立って乗ってることはできなかったからである。
当時を思い出すと、ふらふら足を引きずって歩く姿はかなり不様だったんだろうなと思う。しかし不様かどうかはどうでもよかった。「生活即リハビリ」を続けていれば、いつか普通に歩けるようになれることを信じていた。

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上の本は『ジェーン・フォンダのからだ術こころ術』ジェーンフォンダ著 堂浦恵津子訳1987年(晶文社)とジェーンフォンダのエアロビクスビデオ(5巻)です。私は50代に4年ほどジャズダンスを友だちと一緒に習っていたことがあります。昔取った杵柄(きねずか)エアロビクスにチャレンジを試みました。はじめは本当に何もできなく、靴下さえベッドに腰掛けて穿いていたのですから無理もなかったのですが、体は有難いですね。『以前、定期的に運動していた人の海馬は、運動を再開すると急速にその活発な状態に戻ることができるのだ。』全くその通りの実体験でした。
現在もたまに思い出したようにエアロビクスをしています。

放送大学の授業『身体福祉論~身体運動と健康』(宮下充正・臼井永男教授)で、エアロビクスはめまいに効果があると聞いて、私が運動として選んだエアロビクスは花まるだったと、とてもうれしかったです。

『中高年のための「体を動かす」簡単運動メニュー』(主婦の友社)は、毎日のストレッチと筋トレの実践に役立っています。歩くだけでは筋肉は形成できないのですね。私は筋肉を大量に失っていたので、取り戻すのが本当に大変でした。それでも、高齢になっても筋肉はちゃんとつくのです。6年もかかったけれど、荷物を手にもってスタスタ(?)まっすぐに歩けるようになりました。


   宮沢賢治  「疾  中」(しっちゅう)より

     〔 丁 丁 丁 丁 丁 〕

         丁 丁 丁 丁 丁
         丁 丁 丁 丁 丁
     叩(たた)きつけられてゐる 丁
    叩きつけられてゐる 丁
   藻(も)でまっくらな 丁 丁 丁
   塩の海  丁 丁 丁 丁 丁
     熱  丁 丁 丁 丁 丁
     熱 熱   丁 丁 丁

       (尊 々 殺 々 殺
        殺 々 尊 々 々
        尊 々 殺 々 殺
        殺 々 尊 々 尊)

   ゲニイめたうとう本音を出した
   やってみろ   丁 丁 丁
   きさまなんかにまけるかよ

    何か巨(おほ)きな鳥の影
    ふう     丁 丁 丁

   海は青白く明け    丁
   もうもう上がる蒸気のなかに
   香ばしく息づいて泛(うか)ぶ
   巨きな花の蕾がある           
        
(6)へ続く

2014-03-07 12:03 | カテゴリ:リハビリ