私は上野千鶴子さんの2冊の本をご紹介して、「リハビリと私」を終わるつもりでした。

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★山梨市『上野千鶴子さん講演中止事件』

ところが、3月15日、Yafoo!ニュースで「山梨市から昨年10月に依頼を受け3月18日に予定されていた上野千鶴子さんの市民講演『ひとりでも最期まで在宅で』が中止になったというニュースをみて、何と時代の流れに反した市長(今年の2月当選した望月清賢市長)だろうと驚きました。上野さんは社会学者であり、早くから高齢者や介護に関心を寄せ、「老人学」を誰よりも深く研究されてる方です。
この度の、山梨市の講演のテーマは「介護や最期までひとりで生きる心構え」を語る予定でした。既に申し込みが164人(人気があるんですよ)もあったのに、「公費でやる講演にふさわしくない」というメールが10通あったということで、朝日新聞の「なやみのるつぼ」過去の思春期の少年の性欲の悩みに対し、異性との付き合い方を書いたコラムと、『セクシイギャルの大研究』(1982年光文社)『スカートの下の劇場』(1987年河出書房新社)などの本のタイトルが気に食わないという市長の判断で、中止となったのです。
ああ!びっくり!この2冊の本も、余りに昔出版されたものだけに、因縁をつけようと思えば何でもいいんだということですね。

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この3冊も読んでいただければ、上野さんがまじめに人が老いてやがて死にゆくときまで、どうやって自分らしく、人間らしく(ともすれば物として扱われますからね。)生きるか、問うてきたことが分かります。
山梨市の市民も年は取るのです。いくらエイジレスといっても、やがて人間は死ぬ運命にあるのです。上野さんの笑かしながらのスピーチから、沢山の知恵を得る学習の機会を市長の一存で中止したのは、市民にとって大きな損失だと思います。
なんか、今後、色々問題が発生しそうな気がします。市民、特に高齢者にとって受難の日々となりませんように。

以前、男女共同参画基本法に対して、「男と女は違う存在。それを男と女が平等だと主張することはけしからん」と、厳しい『バックラッシュ!』(2006年双風社)の嵐が吹きすさんだことがあります。「ジェンダーはもちろんカタカナ語はいかん」と、まるで戦時下のような言語統制があり、日本中の行政が殆どこの要求をのみ「ジェンダー」という言葉をつかわないという時期があったのです。今は下火になってきましたが、まだまだ燃えカスが残ってるのが現実です。カタカナ語を日本語に直訳するにはかなりニュアンスが伝わらず、不正確な言葉になってしまう恐れがあるのです。
山梨市に、バックラッシュが超遅くというより、新しい嵐が到来したのでしょうか。

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★今日3月17日、夕方5時帰宅してすぐYafooニュースを見ると、上野千鶴子さんの講演が18日行われると報道されていて、よかったです。粘り強い上野さんは18日を空けてあり、ぎりぎりまで再開を待つということでした。市民からは講演再開の要望が多く寄せられ、市長が折れ、16日、上野さんに再開をお伝えしたとのことです。これ以上言われるのは嫌と、市長のコメントなしです。
バックラッシュが杞憂に終わることを願っています。

★山梨市公演中止撤回について ちづこのブログNO66
(http://wan.or.jp/ueno/) 
4月3日、上野千鶴子さんがこの経緯を後日談としては発表されてます。
WAN(ウーメンズ・アクション・ネットワーク)サイト上の「ちづこのブログNO66」に掲載されてます。『DV・マリコのかけ込み部屋』のリンク先ページからお入りになってぜひご覧ください。

以下にその一部を引用します。

★ふりかえって今回の出来事を考察してみましょう。 自治体による「講師ドタキャン事件」は枚挙にいとまがありません。故松井やよりさんの千代田区講演中止事件(2001)、辛淑玉さんの台東区講演中止事件(2001)、上野が関係した国分寺市事件(2006)、平川和子さんのつくばみらい市講演中止事件(2008)等々。今回の山梨市事件は、いったん自治体首長が中止の決定をしたものを撤回させたという前例として、歴史に残るでしょう。それにしても地方の自治体はこういうふうに名前が残るのですね。不名誉なことです。自治体首長としては、賛成・反対両方の市民の声を聞いたうえで、「柔軟な対応」をしたとして、評価に値するでしょう。★

★これまでだって、冒頭にあげた講師ドタキャン事件のほか、福井県ジェンダー図書撤去事件、堺市立図書館BL図書撤去事件、「はだしのゲン」撤去事件、豊中市非常勤館長解雇事件など、バックラッシュは枚挙にいとまがありません。「クサイ臭いは元から絶たなきゃダメ」なんですが、この件が最後になるとも思えません。これからも当分「もぐら叩き」に走りまわるしかないでしょう。★

なお『スカートの下の劇場』は新しく出版された『女ぎらい』(2010年紀伊国屋書店)と一緒に本屋の棚に並んでいて驚かされるのですが、興味本位に読まれてるのかも知れません。『スカートの下の劇場』よく古本屋の棚でも売られていました。買ってはみたものの「女性学」では期待外れだったのでしょう。本のネーミングは出版社の売るための作戦なのでショッキングな題名になることもあるんですよね。
『女ぎらい』もとげとげがついた文字でいかにも女が嫌いという装丁ですね。私も男は女が嫌いだからわざわざ結婚したのに暴力(DV)を振るったり、レイプできるのだと思っています。女性が好きだったらこんな残酷なことはできませんよね。


★昨日、16日の午後はゾンタクラブ主催の講師狩野弁護士のDV講座に、ご丁寧なご案内のお手紙をいただいていたので参加する予定でしたが、DV相談が入り、残念でしたが参加できませんでした。
当事者間の相談は夕方終わったのですが、その後、大声を出す親族に押しかけられ、お断りしたにもかかわらず、玄関に鍵をかけ忘れていたので、既に玄関に入って立っていて本当に驚きました。感情の抑制が効かず思いのままに暴発する人間って、何をしでかすか分からないから、やっぱり怖いですね。その後相手方にも押しかけ騒いだようで警察を呼んだと連絡がありました。この騒ぎがおさまったのは夜の10時すぎでした。
こんな騒ぎは今までないことでした。

実はこの件は、15日の夕方から一晩がかりで携帯でやり取りがあり、それが突然の面接になったので、お蔭で予定していた仕事ができず、とうとう徹夜をしてしまいました。体が持たず、2時間くらい横にはなったものの、神経が立っていて眠ることはできませんでした。

★17日、お昼の12時から国際ソロプチミスト秋田のみなさんの例会で、皆さんにお配りする資料を持参で、「DV基礎講座:女性と子どものSOSが聞こえますか?」の講師を務めてきました。みなさん別世界の話を聞くように驚いて居られましたが、DV被害女性は3人に1人、3日に1人の女性が殺され、1週間に1人の子どもが虐待によって死んでることを伝えると、会場がどよめきました。
国際ソロプチミスト秋田のみなさんの周りにも、必ず被害者がいるという事実を踏まえ、DV暴力がどういうものか知ることにより、誰か助けを求めたとき、その手を温かく握り返し、力になって支えてほしいと伝えました。手応えはあったような気がします。

講話を終わって、向かった先は「25年度分確定申告」手続きのため労働福祉会館へ。もう今日17日が最終日なので、人が溢れ階段まで人が並んでる有様でした。私は、こういうのは不得手で、どこへどう区分するのか分からなく、下準備はして行ったのですが、結局2時間近くかかりました。税務署のみなさんはとても親切で助かりました。4時で受付終わりなので、4時10分前だったのですが階段を急いで登っていく人たちが結構いて、皆さん仕事をしていて忙しいんだなと思いました。
この前のこの日記で、さっさと歩けるなんて自慢してたのですが、帰りは寝てないのが響いてカバンの書類や資料が重く、だらだら歩いてると、みんなが私をさっさと追い越していきました。早く歩きたいのに歩けないほど疲れていました。

幸い夫が「きりたんぽ鍋」を作ってくれていて、ご馳走になってパソコンに向かっています。夫に感謝です。
今夜はホットラインです。また眠れない夜が続きます。人には無理しないでと言いながら、私自身が無理してるなと思います。紺屋の白袴ですね。

また『リハビリと私』に戻りますね。今日が最終回です。

下の写真は昨年9月24日、北秋田市の太平湖へ町内の「ななかまどクラブ」の仲間と一緒に行った時の写真です。
これは太平湖へ向かう途中の阿仁の山々です。杉の木が少しありますが雑木が多く、いかにも熊やカモシカやイノシシがいそうな山ですね。雑木の山は動物たちの食糧が豊富にあるんですね。
最高の青空に月が白く輝いていました。
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太平湖は森吉ダムの建設によってできた人造湖です。小さな遊覧船に乗り小又狭へ向かいました。太平湖は観光化されてなく人造湖というものの自然いっぱいの素晴らしい湖です。
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湖には13の渓谷渓流があり景色満点、ごつごつした岩や細い山道は険しく結構スルリ満点でした。
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岩盤はところどころ滑るので足元要注意でした。
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水の流れる音、鳥の声、涼やかな風、野の花、「ななかまどクラブ」の仲間以外は、ほとんど会う人もなく貸し切り状態でした。
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岩盤の上に座り、これから昼食です。Aさんが大きなリックからコーヒーセットを取り出して、入れて下さったコーヒーが思いがけなく、とてもうれしく美味しかったです。
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ダム建設時に作られたコンクリート製の四角い橋桁に厚い板が重ねて渡してある橋を渡ってます。
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渦巻く水の美しさに魅慮されました。
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突然太平湖の話になって、「何?」と思われたことでしょう。
実は昨年の4月の「ななかまどクラブ」の総会で、太平湖へトレッキングに行く計画の発表があったとき、「とても私は参加できない」と思っていたのです。ななかまどクラブの仲間での週2回のウォーキングでは、坂道は誰より遅くなり、公園の急な階段は登れない状態だったからです。
でも目標があるということは良いことですね。耳鼻科の主治医の言葉通りでした。目標があると気持ちがキリっとなってがんばれるんですね。
現在は近くのスーパーの3階まで階段を手すりに掴まらず登り降り出来るようになりました。エレベーターやエスカレーターには重い荷物がない限り乗らなくなりました。

私の体験したことでよかったことなどを書きますね。脚力やひざに問題がある方のご参考にしていただければうれしいです。
弱った足のひざには、ひざ体操が一番効果がありました。『痛み解消!ひざ体操(NHK今日の健康)』を参考に3種類の体操を毎日続けました。1日3回と書かれてましたが、私はほとんど夜1回だけ、ストレッチを入れて(30分くらい)ですが、確実に足に筋肉がつき歩くことが楽になりました。

以前、膝の痛みで赤十字病院へ行って診てもらったとき、膝に年齢相応の骨の減りがあり、筋肉をつけるよう膝の簡単な体操を指導されたことを思い出しました。担当医師は注射はもちろん薬も一切出しませんでした。私も今は膝にとって一番効果があるのはひざ体操をして筋肉をつけることだと思っています。

マッサージはそのとき一時的に気分がいいだけだと思います。お風呂も血液循環を良くし有効です。膝は冷やさない、温めることも大事だと実感してます。そのため簡単なニットのサポーターを着用しています。

また友達が効果があると教えてくれた、マシン「レッグマジックX」で60~100回、足を左右に開閉する運動もしています。これは大腿部に筋肉が確実につきます。1万円くらいで買えます。パンフには60秒スイスイできると書いてますが、とてもきつい運動です。だから効果があるのですね。類似品があるのでご注意ください。

姿勢を正しく保てるようにストレッチを、レンジでチンを待つ間とか、お風呂上りとか、寝る前に毎日してます。

昨年の夏、早く治したいと思い近所の整形外科(医師との会話なしの流れ作業でした。)でヒルアロン酸を1週1回、5回にわたり膝に直接注射してもらいましたが、私には全然合いませんでした。結局注射をすると当日から3日くらいは激しい痛みがあり、その後も痛みは続き、ウオーキングができなく逆効果でした。ひざが腫れていたのでひざとひざ裏、大腿部に張り薬を貼っていました。5週間も歩かなかったら、脚力が減退してしまったというのが事実でした。
現在はひざが腫れることもなくなりました。

耳の三半規管にヘルペスができて51日間の入院生活をし、バランス感覚と体力と脚力を失ったのは6年前でした。平衡感覚と筋力を取り戻し体力を回復するまで6年かかりました。たくさんの方から鞄を持ってもらったり、その他さまざまなことに配慮していただき助けられて、現在の私があります。ありがとうございます。感謝あるのみです。

今も耳の中で蝉や鈴虫が鳴いてますが余り気にならなくなりました。めまいを意識することもほとんどなくなり、たまにグラリと揺れることがありますが、普通に日常生活を送れるようになりました。
やっぱり『日常生活即リハビリ』ですね。これからも「私にはできない」と尻込みせず、チャンスと必要があれば何にでもチャレンジしていきたいと思っています。「継続は力なり」を実感しております。

最後になりましたが、一緒に歩き、一緒に笑えあえる仲間の「ななかまどクラブ」のみなさんの友情に感謝です。ほんとうにありがとうございます。たくさんの情報と力をいただきました。これからもよろしくお願いします。
長い長い日記『リハビリと私No1~No7』はこれで終わります。付き合って読んでいただきどうもありがとうございます。
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2014-03-19 04:50 | カテゴリ:リハビリ
3月7日(日本時間8日午前1時過ぎ)ソチパラリンピックがはじまりました。再び聖火台に灯がともりました。参加国は47か国、懸念されたウクライナ選手団も参加し、ほっとしました。政治的には全然予断は許されませんが。
選手たちの努力と勇気と負けじ魂の結晶である競技はきっと感動してしまうと思います。

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写真では分かりにくいですが、ソ連中から集められた少女のバレリーナがダンスで作った雪の結晶です。雪の結晶はいろいろな形に変わり、見とれてしまいました。
空中に浮かぶピンクの風船に吊り下がったブランコに乗り、赤い裾がひらひらする洋服を着た女性が会場を浮遊するという火の鳥ショウも同時に繰り広げられました。壮大な演出です。

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急いでスマホで撮ったら画面がこんなになってしまいました。この後、整然とした行進がそれぞれ縦、横、斜めと自在に繰り広げられ、よくぶつからないなと感心してしまいました。この演出の指導者は日本人であると聞き誇らしかったです。(以前、テレビでこの自在な行進を大学生が行っていたのを見たことを思い出しました。)
行進(きっと名前があると思いますが)の後、風にたなびく青、白、赤のロシア国旗になりました。
白は高貴と率直の白ロシア人を、青は名誉と純潔性の小ロシア人を、赤は愛と勇気の大ロシア人を表します。
旗の3色は汎スラブ色として、多くのスラブ系諸国で用いられています。

ソチパラリンピックのテレビ放送が本当に少ないですね。こんなページを見つけました。
【何ひとつあきらめない。だからその人は強い】
ソチ2014パラリンピック冬季競技会 
http://www.sukachan.com/paralympic2014/

NHK福祉ポータル ハートネット 
http://www.nhk.or.jp/heart-net/special/sochi/index.html

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さて、「リハビリと私」をまたまた続けます。
『完全図解 介護予防 リハビリ体操大全集』大田仁史編著 三好春樹編集協力 2010年 講談社 
私はこの本を東京青山のクレヨンハウスで買い求めた。とにかく大きく重い。量ってみたら1,4kgあり驚いた。帰宅して夫に見せたら「何を考えているんだ?何するつもり?」と言われた。「見ればわかるでしょ」「・・・・・・」夫は呆れていた。でも私は真剣だった。再生が老いに追いつかなくなる日、その時のために知識は必要であり、生活に役立つと考えていた。
モデルハウスを買ったとき、家の玄関前に何本も旗が立てられていた。その旗に書かれていた言葉が「クオリティ・ライフ」であった。家には、玄関や廊下、階段、トイレ、風呂、洗面所等にすべて手すりが設置されていた。その当時、50代後半だった私は「なんぼなんでも早すぎるな」と手すりを見て思っていた。しかし、「備えあれば憂いなし」であった。10年後手すりは役立ち、私は助けられた。

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はじめに
 高齢者は、加齢にともなってさまざまな問題に直面します。(中略)疾病と運動器疾患が重なりあって、介助なしに日常生活を送れない人もいます。障害や病気を苦にして、閉じこもりや寝たきり生活に入ってしまう人も少なくありません。
このような人に総じて言えることは、からだを上手に動かすことを知らないことです。困難や障害があっても、最低限の筋力さえあれば、からだの動かし方を工夫するだけで質の高い生活を送ることができるのですが、こうしたことはあまり知られていません。(引用P2)

これを読んだとき、深いため息が出ました。情報社会と言われながら、人が人らしく生きられる基本情報がすっぽり抜けていると思いました。だから、私は長いリハビリ日記を書いてると言えます。高齢になったからと言って、「こんなものさ」と、むざむざ生きることを諦めてほしくないのです。
私はふらつくと、友人たちは「私もそうよ。年を取ればみんなそうなる、同じよ」。たぶん励まして言ってくれたのだとは思うが、自然な老化とは確実に違う、まして同年代の友人がこんなに思わぬ方向に体が傾き、足がもつれることはないはずだ。老化現象だと納得はしたくない。年を取ったから抵抗力が落ちて3半規管にヘルペスができた、そのため耳が聞こえが悪くなるのはある程度いた仕方がないことだが、歩くことが酷く不自由になることは、断じて許しがたいことだった。
この本は高齢者がクオリティ(生活の質の高さ)ライフを保つための知識の宝庫であり、すぐ実践できるように実に優しく詳しく書かれています。3800円という値段も決して高くないと思います。

わが家の周辺にも介護施設が竹の子のように建設され続けています。秋田は介護施設数においても日本一ですから、我が町はその秋田の中でも施設が一番多いと思っています。
倒れてから介護ではなく、必要なのは「寝たきり予防センター」だと思います。病気になっても寝たきりにならずに回復できることをもっと高齢者はもちろん、周囲の人が知る必要があります。

介護施設は超高齢老人大国にあって、これからも儲かると踏んで建設が続いてるのですね。「寝たきり予防センター」は?金にならないんでしょう。ではどうするか?政治的に予算をつけて、国並びに都道府県、市町村が作ればいいんです。介護施設に莫大な補助金を出しているのですから、そこの考え方を改めないといけないんですね。
ちゃんとした運動指導ができるインストラクターやリハビリ作業療法士や福祉士を臨時職員などケチなことは言わないで正職員として雇用し、誇りを持って働けるようにすればいいんです。
介護師や看護師等、人の命を扱う人たちの待遇が劣悪だから定着せず、常に現場は人手不足状態なのだと思っています。苦労に応じた、報酬が必要なのです。この人たちの賃金は安すぎです。

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いきなり100歳まで生きるという本を2冊も並べられて驚かれたことでしょう。
『めざせ100歳 ! ~いつまでも健康で長生きできる31の秘訣』デービット・マホニー/リチャード・レスタック著樋口恵子[監訳] 門脇恵実[訳] 2001年初版本 (サンブックス)
樋口恵子さん(評論家81歳)については「リハビリと私No2(2月4日)」の日記に『花婿学校』校長だったということを書きましたが、行動の人です。全国組織の「高齢社会をよくする女性の会」理事長であり、「女性と仕事の未来館」初代館長でした。『ぬれ落ち葉』(定年退職後、仕事ばっかりだった男性が新しい人間関係を作れなくて、妻にべったりついて歩くこと。)は樋口さんの造語です。1985年には流行語大賞新語部門:表現賞を受賞しています。また、石原慎太郎の【ババア発言】に怒り、2003年の東京都知事選に立候補しましたが、残念ながら大差をつけて石原氏に敗けてしまいました。

驚いたことに77歳の時腹部動脈瘤を3か所切除し4時間余り大手術をされてたことです。医師曰く「世界で一番痛い手術だ」と聞かされたとのこと、24日入院し5㎏減、コブを取ったら「小ぶとりばあさん」など、周りを笑わせていましたが、実は大手術後、24時間も経過しないうちに、100m歩かされるという鬼のリハビリが行われたのでした。お蔭で、1週間後もう講演に九州まで行かれたのでした。『人生100年時代』を提唱してる自分が77歳で死んではいられないと思ったそうです。

費用は500万、しかし高額医療制度などに助けられ、実際かかった費用は15万くらいだったそうです。と言うのは、先進手術を誰でも受けられるということですよね。ただ、高度の医療を施せる病院施設が近くにあるかどうか生死にかかわる大問題なのですね。

『めざせ100歳!』では、「リハビリと私NO4」に述べたノーマン・カズンズ氏『死の淵からの生還』(P122)についても触れられています。
(この項追記あり。)





    宮沢賢治  「疾  中」(しっちゅう)より

      〔手は熱く足はなゆれど〕

    手は熱く足はなゆれど
    われはこれ塔(たふ)建つるもの
    
    滑(すべ)り来し時間の軸(ぢく)の
    をちこちに美(は)ゆくも成りて
    燦々(さんさん)と暗(やみ)をてらせる
    その塔のすがたかしこし


2014-03-09 04:55 | カテゴリ:リハビリ
3月7日(金)、先ほどまでの吹雪で、また一面の銀世界になりました。3月になると秋田では春に憧れ、いち早く厚いダウンやオーバーを脱ぎ、軽いコートに着替えるのですが、今年はまだ皆んな冬のコートを纏っています。なかなか寒いのです。私も厚いフード付きダウンを着ています。

午前中の激しい吹雪が止み、一息ついてる外の景色。家の近くのこの通学道路は融雪道路になってます。灰色の雪雲が垂れこめています。
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せっかく咲いてたパンジーとビオラが今日はすっかり雪を被ってしまいました。
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また、私のリハビリ日記を書きます。
私は退院してから居間のソファアから立ち上がろうとして尻もちをついたり、カーテンを開こうとして引いた方向へ体が倒れたりしていた。食事作りは立っていればいいのでできたが、これも冷蔵庫から野菜や冷凍食品及び調味料を出すため屈むことができなかった。床下のじゃがいもや玉ねぎを出すのは、つんのめって吐きそうになった。
洗濯をして、洗濯物を2階のベランダまで運ぶことができなかった。自ずと夫の手が必要だった。

『生活即教育』→『生活即リハビリ』。羽仁もと子精神が、俄然私の中で燃えた。

羽仁もと子著作集 20巻 赤い布地に平福百穂(ひらふくひゃくすい・秋田県角館生まれ)が描いた美しい装丁の表紙が見えるようしてあります。角館には百穂の美術館があります。
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羽仁もと子さんの著作集20巻の中で、繰り返して書かれているのは『生活即教育』である。私は全国組織である『友の会』(毎月発行の雑誌『婦人の友』購読者で構成する)に、羽仁もと子生誕100年展覧会を秋田へ見に来て、その生活合理化と精神性に触れ、即入会した。
そして、30代半ばに「能代友の会」を設立した。子育て期の心の支えになったのは羽仁もと子精神であった。若かった私は月2回集まり、友の会の仲間と一緒に繰り返し著作集を読んでいた。

私は国家公務員として38年間仕事をし、退職してから秋田へ転居して来て「秋田友の会」へ入会した。だが、会の厳しさに楽しさと遊び心が見いだせなくて、間もなく退会した。今まで普通と考えていたことが通らない窮屈な世界だった。「楽しくないことはしない」「自分を追い詰めない」「杓子定規には生きたくない」という私のポリシーに反した。「楽しくないことは続かない」という言葉は羽仁もと子さんのことばである。

共働きで、右往左往していた私にとって、合理的な家事を学べたことは本当によかった。『寝る前の家』『朝の家』等、時間の使い方は今も私の中では継続されている。そして『思想しつつ生活しつつ』2巻から4巻のこの3冊に、もっとも私は影響された。
みんなで子育てした想いで多い「能代友の会」は、私が秋田へ移り住んでから間もなく解散してしまった。
「能代友の会」と「秋田友の会」での素晴らしい個性を持った方たちとの出会いは、私の生活と人生に豊かさをもたらしてくれた。今も深く感謝している。

『婦人の友』は家計簿で有名であり、しばしば新聞紙上等に取り上げられ、ご存知の方も居られると思う。羽仁もと子さんは『自由学園』の創立者である。
長女説子さんと結婚した羽仁五郎氏は学生運動の最中に『都市の論理』がベストセラーになり、私もかじった。
息子はドキュメンタリー映画監督の羽仁進氏、孫の羽仁未央さんは学校へ行かないで家庭で教育を受け、義務教育を終えた方です。

羽仁未央さんは「不登校を悩み恐れるなかれ」の実践者です。学校へ行かなくても、人は一人前になれるのに、大人が寄ってたかって「病気だ!何だ!かんだ!」と騒ぐから、子どもが不安になり問題が発生するのです。大人が一人前をしっかり生きてないから、自信喪失していることがより問題を複雑に大きくしてるのだと思います。
「不登校」も「ひきこもり」も、その人にとっての事情があり、その人の生き延びるための究極の適応なのです。悪いことではありません。悪いのはこれを非難し追い詰めて、家庭の檻に閉じ込めて潰してしまう建前社会の大人たちです。
少子化社会が問題視されながら、生まれた子どもがむざむざ見捨てられてるのが日本社会ではないでしょうか。

話がそれてしまいました。リハビリに戻しますね。
羽仁もと子さんの『生活即教育』をもじった『生活即リハビリ』をスローガンにして、私はよろめきながら日常生活をはじめた。「~だからできない」という言い訳は使わないことにした。
ただ困ったのは、薬の副作用で口の中が苦く、渇き感があったことである。始終何か口に入れてないと苦さが増して吐きそうになることだった。しかし、私の生活全体から見たら、それは極一部分のことであった。こだわってはいられない。とにかく、普通に歩きたかった。

私のリハビリ生活に希望を与えてくれた本を紹介します。
『癒やす心、治る力~自発的治癒力とは何か』アンドルー・ワイル著 上野圭一訳 1995年発行(角川書店)には、「なぜ病気になるのか」という質問に対する手短な答えは、「アンバランスを引き起こしている力または状況が、バランスを回復する治癒系の能力の限度を超えてる場合があるから」ということになる。(P162引用)
つまり、耳の三半規管へのヘルペスは、「ストレスの多いアンバランスな生活をこれ以上続けていては命が危ないぞ」「ライフスタイルが間違っているよ」という、私の身体からの警告だったのである。

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『脳を鍛えるには運動しかない!~最新科学でわかった脳細胞の増やし方~』ジョンJ・レイティ 野中香方子訳2009年(NHK出版)
第1章 革命へようこそ……運動と脳に関するケーススタディ
第2章 学習……脳細胞を育てよう
第3章 ストレス……最大の障害
第4章 不安……パニックを避ける
第5章 うつ……気分を良くする
第6章 注意欠陥障害……注意散漫から脱け出す
第7章 依存症……セルフコントロールのしくみを再生する
第8章 ホルモンの変化……女性の脳に及ぼす影響
第9章 加齢……賢く老いる
第10章 鍛錬……脳を作る
第11章 鍛錬……やり通すこと

 ☆もし運動が嫌いでも落ち込むことはない…遺伝的にそうなっている可能性もある。2006年ヨーロッパの研究者が双生児について身体活動のレベルを比較した。その結果、彼らが運動好きかどうかは、62%が遺伝に由来することが分かった。
またほかの研究により、運動するときの感覚を楽しめるか、一度始めたらやり通せるか、運動して気分が劇的によくなると感じるかどうかということさえ、遺伝子が影響することが分かっている。
中でも研究者が注目するのは報酬とやる気にかかわる神経伝達物質であるドーパミンに関連する遺伝子と、BDNFの生成をコントロールする遺伝子だ。(中略)
……誰でも行動を起こすことによって脳の配線を繋ぎ直すことができる。子どものころのように簡単にはいかないが、確かに可能なのだ。

 ☆運動するとドーパミンが増え、しばらく定期的に続けると、脳の報酬中枢にあるニューロンが新たなドーパミン受容体を生み出し、さらに運動していこうという動機が芽生えてくる。新しい神経回路が作られたり、しばらく使わなかったため錆びついていた経路が磨き直されたりし、ほんの数週間で一つの習慣が根づく。
 運動は自分を鍛え直す手段となり、それによって遺伝子の束縛を断ち切ることができる。実際のところ、遺伝子は複雑な方程式の変数の一つにすぎず、ほかの多くの変数をあなたはコントロールできるのだ。(中略)
以前、定期的に運動していた人の海馬は、運動を再開すると急速にその活発な状態に戻ることができるのだ。毎日運動できればベストだが、休み休みでも運動すれば驚異的な効果がある。「毎日やるか、まったくやらないか」というものではないということを肝に銘じてほしい。(P326~328)から引用。

私は幸い大型スーパーの近くに住んでいるので、そこで歩行訓練をすることができた。歩くと太ももの後ろ(大腿二頭筋)とふくらはぎとアキレス腱が痛かった。特に左の膝が痛かった。もし、女性の平均年齢まで生きるとしたら、あと20年もこの痛みに耐えなければならないのだろうか?高齢者と呼ばれるようになって、肢体が不自由になるのは当然なのだろうか?20年痛みに耐えるなどできない!!私は自分の身体に強く反発した。このままで生きて行きたくない!!私は何よりも生活の第一目標をリハビリに置いた。

私は毎日、毎日、夫から近くのスーパーへ送迎してもらった。スーパーの中は物(販売商品)が溢れていて、私は商品の方に転びそうになるので、陳列棚、ショウケース、ガラスのウインドウから離れて歩いた。歩いているとみんなが私を追い越して行った。私は誰よりも歩くのが遅かった。
スーパーの2階には手すりがあるので、そこで歩行訓練をした。長くは歩けないので、よくトイレの赤ちゃんコーナーにあるソファで休んだ。2000歩ほど歩くと疲れた。

当時まだ、2000年に立ち上げた「女性学スペースミズ」というグループの世話人をしていたことと、秋田ウィメンズネットの『あうん通信』を発行するため秋田男女共同参画センター(ハーモニープラザ)のあるアトリオン6Fへよく行っていた。よろめく私はセンターの廊下の窓のふちにも助けられた。
「マリコさん。危なかっしくて見ていられないよ。杖を買ったら?」と言われ、周囲を安心させるために、ミズノのワイン色の3つ折りの杖を買った。しかし、この杖はほとんど使わずじまいだった。

日本フェミニストカウンセリング学会と全国女性シェルターネットの大会や研究会へは、全国どこでも出かけて参加した。度々上京していたが、駅ではエレベーターを利用し、電車は混雑を避けて一度電車を見送ってから乗り込み、座席を確保するようにしていた。めまいと足のふらつきで電車を立って乗ってることはできなかったからである。
当時を思い出すと、ふらふら足を引きずって歩く姿はかなり不様だったんだろうなと思う。しかし不様かどうかはどうでもよかった。「生活即リハビリ」を続けていれば、いつか普通に歩けるようになれることを信じていた。

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上の本は『ジェーン・フォンダのからだ術こころ術』ジェーンフォンダ著 堂浦恵津子訳1987年(晶文社)とジェーンフォンダのエアロビクスビデオ(5巻)です。私は50代に4年ほどジャズダンスを友だちと一緒に習っていたことがあります。昔取った杵柄(きねずか)エアロビクスにチャレンジを試みました。はじめは本当に何もできなく、靴下さえベッドに腰掛けて穿いていたのですから無理もなかったのですが、体は有難いですね。『以前、定期的に運動していた人の海馬は、運動を再開すると急速にその活発な状態に戻ることができるのだ。』全くその通りの実体験でした。
現在もたまに思い出したようにエアロビクスをしています。

放送大学の授業『身体福祉論~身体運動と健康』(宮下充正・臼井永男教授)で、エアロビクスはめまいに効果があると聞いて、私が運動として選んだエアロビクスは花まるだったと、とてもうれしかったです。

『中高年のための「体を動かす」簡単運動メニュー』(主婦の友社)は、毎日のストレッチと筋トレの実践に役立っています。歩くだけでは筋肉は形成できないのですね。私は筋肉を大量に失っていたので、取り戻すのが本当に大変でした。それでも、高齢になっても筋肉はちゃんとつくのです。6年もかかったけれど、荷物を手にもってスタスタ(?)まっすぐに歩けるようになりました。


   宮沢賢治  「疾  中」(しっちゅう)より

     〔 丁 丁 丁 丁 丁 〕

         丁 丁 丁 丁 丁
         丁 丁 丁 丁 丁
     叩(たた)きつけられてゐる 丁
    叩きつけられてゐる 丁
   藻(も)でまっくらな 丁 丁 丁
   塩の海  丁 丁 丁 丁 丁
     熱  丁 丁 丁 丁 丁
     熱 熱   丁 丁 丁

       (尊 々 殺 々 殺
        殺 々 尊 々 々
        尊 々 殺 々 殺
        殺 々 尊 々 尊)

   ゲニイめたうとう本音を出した
   やってみろ   丁 丁 丁
   きさまなんかにまけるかよ

    何か巨(おほ)きな鳥の影
    ふう     丁 丁 丁

   海は青白く明け    丁
   もうもう上がる蒸気のなかに
   香ばしく息づいて泛(うか)ぶ
   巨きな花の蕾がある           
        
(6)へ続く

2014-03-07 12:03 | カテゴリ:リハビリ
☆「野の花日記」の写真はワンクリックすると拡大してご覧いただけます。

2月21日、雪が降ってましたが散歩に出ました。さすがの私も真正面から吹き付ける雪に、怖気(おじけ)づき、公園の中を歩く気にはなれませんでした。この公園は開発公社と市民である私たちとが共同で考え設計した公園です。

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公園から戻る途中、吹雪の中で、住宅団地を造成するため働いてる車がありました。男性が3人凍てつく厳しい寒さの中で働いていました。ミキサー車では男性が水で車を洗っていました。頭が下がりますね。

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23日未明け、17日間にわたって、世界中から集まった若者たちが速さと力と技を競ったソチオリンピックも、とうとう終わりましたね。写真は真ん中のぬいぐるみのクマさんが丸い器に入ってるオリンピックの火を吹き消すところです。この後、一気に外の聖火台の火が消えました。

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聖火台のオリンピックの炎が消えて・・・はじまったことは終わるんですね。炎の消えた聖火台は、赤い色から青い色に変わりました。なんだか淋しいですね。

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オリンピックは終わり、子どもたちの未来に夢を託し、真に平和な世界が実現できるよう、大人が努力しなければならないのですよね。

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またまた、私のリハビリ日記に戻りますね。
私は主治医に「マリコさん、長くなって申し訳ないです」と、何度か詫びられた。「1週間位の入院でいいでしょう」が、めまいで入院が51日間にも及んだのは、医師のせいではなく、三半規管へのダメージが酷すぎたからであり、私は必要な入院だったと今も思っている。
「この病気は治りません。しかし、機能を使うことで、新しくシナプスがつながり回復する可能性はあります」医師が言った。私は希望が持てた。あとは自分次第だと。楽しくリハビリしよう。決して諦めないぞ!!
以前、私は足の静脈瘤手術をしていて、手術した静脈が閉鎖されても、他の細い静脈がバイパスの役割を果たし、全く弊害はなかったという経験をしていた。

私は、体は自らの力で回復する。大事なのは治ろうとする意思、生き延びたいという希望であると思っている。体には自ら体に生じた異常事態を元に戻そうとする恒常性と自然治癒力があるからである。
こういう私の考えに強い影響を与えた本を紹介します。

この本は、平成元年11月に発行された初版本(日本教文社発行)である。
第Ⅰ部 生きる姿勢を変える 第一章 幻滅 第二章 混乱 第三章 制御
第Ⅱ部 心臓と循環器の病気 第四章 心臓と心 第五章 狭心症 第六章 心臓発作               第七章 高血圧
第Ⅱ部 医学の謎   第八章 関節炎 第九章 糖尿病 第十章 腎臓病 
           第十一章 片頭痛 第十二章 多発性硬化症
第Ⅳ部 癌      第十三章 手術 第十四章 放射線治療 第十五章 化学療法               第十六章 癌の制圧 第十七章 健康への意思
第Ⅴ部 結論     第十八章 人格の統一性

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 <本文 P169、P170 より引用>
 アメリカの作家ノーマン・カズンズは『五〇〇分の一の奇跡』(講談社)の中で、プエルトリコの家に巨匠パブロ・カルロスが90歳の誕生日を迎える、2,3週間前に訪問したことが書かれている。
パブロス氏はリューマチ性関節炎を患い、夫人の腕にすがり、腰は深く曲がり、足を引きずって歩いていた。手は腫れ、指は固く握りしめられていた。そんな状態だったが、朝食前ピアノのところに行き、苦労しながら椅子に腰かけた。

 ☆これから起ころうとしている奇跡を私は全く予想していなかった。握りしめられた指はゆっくりと開き、植物の芽が日の光に向かって伸びるように鍵盤の方へ伸びて行った。背筋は伸ばされた。今では前よりも楽に呼吸をしているように見えた。ついに指が鍵盤の上におかれた。そして聞こえてきたのはバッハの《平均律クラヴィーア曲集》の冒頭で、まことに神経細やかな、非常に抑制された演奏だった。
パブロ氏はチェロ奏者になる前に、いくつかの楽器を手がけ、熟達した腕前になっていたことを思い出した。ピアノを弾きながらハミングしていた氏は、バッハが私に語りかけています、と言いながら、胸のあたりに手をやった。
 そのあと突然ブラームスの協奏曲を弾きはじめた。一転して軽快で力強くなった指は、目も眩むような速さで鍵盤のうえを駆けめぐった。体全体が音楽と溶け合って一体化しているかのようであり、こわばったり縮こんだりしているところはもはや見えず、しなやかで優雅であり、関節炎の束縛から完全に解放されていた。☆

 カルザスの場合創造性が自らのコーチゾンを生み出す源泉だった。(中略)……カルザスは自分の創造性の中に、そして特定の目的を達成したいという欲求の中に埋没していたのであり、それから生ずる効果は真実であるとともに誰の目にも明らかだった。

 また、ノーマン・カズンズ氏自身が米ソ文化交流を図るためアメリカ側代表団長として、ソ連を訪れ、まことに意に満たないきついスケジュールをこなし、帰国後、体の自由がきかない病気になってしまった。病気のどん底の時は顎がほとんど動かなくなり、手足を動かすのは難儀で、寝返りを打つことさえできなかった。専門医は完全に回復する見込みは「五00分に一つしかない」と言われた。カズンズ氏はこの診断をつっぱね、ホームドクターの協力を得て、結合組織がどんどん破壊されていくのを食い止める力を取り戻すことにした。(P171参照)

 この後、カズンズ氏は病院を出てホテルに入った。病院で処方された薬を止め、そのかわりに、いろいろなやり方で自分を笑わせることにした。面白いビデオを見たり、茶目っ気のある本を読んだりした。10分ほど笑いころげると痛みに煩わされることもなく2時間ほど眠ることができた。熱も徐々に引いていき、脈拍は減少し、のたうち回るほどの痛みが消えた。そして数か月後には仕事に復帰することも可能になったのである。(P172参照)

 結論は、死に憧れないこと。未来に希望をもって生きようとすることです。
死は私たちが生きることにひるんだとき、ここぞとばかり、あらゆる手段(自殺を含め病気になるための自殺的行為)を用いて私たちを死へ連れ去ろうとするのではないでしょうか。
生につながるためには生きる意志こそ重要なのだと思います。
自然の中でこの一瞬の命を生かされてることに感謝し、自分自身の生活を楽しく喜びのあるものにすることが、きっと私の命を永らえさ、豊かなものにしてくれるだろう……「全くの楽観主義」ですが、私がこの本から学んだことです。

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私は退院を急いでいた。大潟村(男女共同参画)主催の『自分らしく生きる』のシンポジストとして参加することになっていたからである。そこで、私がなぜDV被害者支援に至ったのか話すことになっていた。1月23日、その日は迫っていた。
また、病院のコンビニで資料コピーをしていると、主治医が「マリコさん、何してるの?」と訊かれる。「シンポジュウムの資料を作ってます」「そういう目標があるのは、回復に役立つ、いいね」と言ってくれた。
退院は、男女共同参画シンポジュウムに間に合わせて決められた。まだめまいは著しく、普通に歩くことは困難だった。

私はシンポジュウム当日、吹雪の中を夫から送ってもらって会場に向かった。大潟村の会場は公民館の2階にあった。長い階段が目に入った。エレベーターはない。階段の手すりに掴まりようやく登った。開会の前、秋田県の制度である、認定秋田県男女共同参画推員(大潟村の)と準備委員の方と親交を深めるため、昼食を共にすることになっていた。案内されたのは和室だった。ロングブーツを脱ぐのも履くのも一大事だった。それに畳・・・座るのは最も苦手だった。膝が折れないうえ、お尻の筋肉が激減し、座ると尾てい骨あたりが痛いあり様で長く座ってることはできなかった。
幸い、講演会場は洋室だった。胸を撫で下ろした。鞄を持つと持った鞄の方向に転びそうになり会場の廊下もようやく歩いた。
 
シンポジュウムには男性が数名参加していた。男性に解ってもらえるのか、男性はDV加害者である場合があるので、話しにくさが生じた。シンポが終わると、何人かの女性が近づいてきて「秋田でもDV被害者支援をしてる方がいるんですね。初めて知った」と言われ握手を求められた。私はその方たちに、持参して来ていた秋田ウィメンズネットの『あうん通信』とパンフレットをお渡しした。
一人でも多くの人に「DVがどういう暴力であり、どんな支援が求められているか」「女性が不当な暴力を受け、自分らしく生きることができない」こと、「DVは女性への人権侵害である」こと、「DVは犯罪であり赦してはならない」こと、「3人に1人の女性が被害にあってる」ことを知ってもらいたいといつも思っている。諸悪の根源に「差別」があり、「暴力」があることに気づいてほしい。DV被害を受けたことにより心身が壊れかけた多数の女性にあってきた私は、一人ひとりの女性が、一人前を自分らしく生きてほしいと心から願わずにいられない。

反省会がお茶をしながら和室で開くことになっていたが、私は体力的に限界があり帰ることにした。秋田男女共同参画副センター長には私の病気をほとんど理解してなく、「なんで帰るの?」と訝られた。私は退院したばかりであり、答える気も余力もなかった。
その後、秋田県男女共同参画推進員(一人の方は秋田宮沢賢治愛好会会員、もう一人は秋田ウィメンズネット運営委員)のお二人が鞄をもって夫が迎えに来てくれた車まで送ってきてくれた。
この日、私の不自由さを支えてくれた皆さんに心から感謝です。悪天の中、夫が午前と午後大潟村まで往復してくれたことにも感謝です。皆さまのお蔭で無事シンポジストとして責任を果たせたこと、今も有難く思っています。


   宮沢賢治 「疾  中」(しっちゅう)より

     〔 夜 〕

   これで二時間
   咽喉(のど)からの血は止まらない
   
   おもてはもう人もあるかず
   樹(き)などしずかに息してめぐむ春の夜
   こここそ春の道場で
   菩薩(ぼさつ)は億の身をも棄(す)て
   諸仏(しょぶつ)はここに涅槃(ねはん)し給(たま)う故(ゆえ)

   こんやはもうここで誰(だれ)にも見られず
   ひとり死んでもいいのだと
   いくたびさうも考(かんがへ)をきめ
   自分で自分に教へながら
   
   またなまぬるく
   あたらしい血が湧(わ)くたび
   なほほのじろくわたしはおびえる

 ☆賢治さんの心細さ、どんなに生き続けたかったろうかと思うと、涙が出ます。

(5)へ続く

2014-02-27 14:02 | カテゴリ:リハビリ
2月7日(金)からはじまったソチオリンピックも23日(日)まで後、残すところ2日となりましたね。

古代オリンピックは戦争であまりにも人的資源(命を落す)を失うため、戦争を一時休戦してお互いの国が力を競い合う祭典、オリンピックを考え出したと言われてます。場所はギリシャのオリンピアでした。紀元前8世紀のことです。日本は縄文時代ですね。最初の競技は人が走る競争でしたが、後に短距離競走、幅跳び、円盤投げ、やり投げ、レスリング等の5種競技や長距離競争、ボクシング、戦車競走などの種目が加えられたのだそうです。この競技内容は当時の戦争そのものですね。

1500年もの長い間オリンピックの火は途絶えていましたが、フランスのクーベルタン男爵の努力により、1896年第一回近代オリンピックがギリシャのアテネで「世界平和を目的とする」スポーツの祭典として開かれるようになったのでした。人間の闘争心の平和利用、それがオリンピックなのですね。
世界大戦による開催中止、1970年代から80年代には、人種問題や冷戦によるボイコットが起こる大会が多かったのですが、近年はすべての国が参加するようになってきました。「平和の祭典オリンピック」も、激しく政治に左右されてるのですね。

国際オリンピック委員会[IOC]の資料によると、1896年、第1回アテネ大会(ギリシャ)は参加国14、参加人数241人、女性の参加は0でした。
2008年、北京大会(中国)は参加国204、参加人数10,942人、女性の参加は4,637人と、女性の参加が40%を超えたのでした。
なお、2014年、ロンドン大会(英国)には204カ国参加すべての国から女性選手が参加した記念すべき大会となったのでした。
女性が走るだけで、奇異に見られ、阻害されてた時代と隔世の感があり、女性選手たちの果敢に戦う選手の姿に、オリンピックにおいては、表面的には女性差別がなくなってきてると感じてます。

冬季オリンピックは1924年シャモニー・モンブランでは参加国16カ国、2014年のソチ開会式では参加国87カ国でしたが、閉会式では参加国にインドが加わり88本の参加国の旗が行進してました。政治の動きがあったのですね。

私はライブは時々しか見なかったのですが、それでも、力の限りすべてをかけてチャレンジする選手たちの輝きと強さに感動をもらいました。

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お正月が終わると、すぐお店にお雛様が飾られはじめ・・・そろそろひな祭り行事としてお雛様を写真に収めようと思って行くと、もう五月の節句、武者人形が飾られていました。気の早いことで。商売は常に先手先手を打たなければならないのですね。

女の子の節句(3月3日)、男の子の節句は(5月5日)とこれは不変ですね。変わったのは5月1日のメーデーと1月15日の成人式です。私はいまだにメーデーと成人式がいつなのか分からない年があります。これは私だけの問題なのでしょうけれど。

女の子は今までの規範は素直で優しく美しくでしたが、今どきの女の子は強く優しく諦めない子に育ってほしいですね。
わが家では娘のお雛様、箱に入ったままになっています。ぼんぼりと内裏雛だけでも飾ろうかしら。お雛様って雅で美しいですね。お店のお雛様は高級なものは既に売り切れていました。

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男の子はリーダーシップを取り天下人になれ。兜をかぶりいざ!闘え!でしょうか?
人間も人類誕生以来、闘ってきたから生き延びることができてるのですよね。長い長い気が遠くなるほど長い歳月を経て、私たちの脳には「戦う」「相手(敵)を負かす」「勝つ」という闘争心がプログラムされてるのだと思います。

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男は逞しく、泣きごとなど言わない。それで苦しみに追い詰められると、誰にも助けを求めず黙って自殺するのでしょうか?兜や武者人形を求めた人は子どもや孫に伝えてほしいですね。「男も弱音を吐いていいんだよ。泣いていいんだよ」「苦しいときは誰かに勇気を出して相談して、助けを求めていいんだよ」「一番大事なのはあなたのかけがえのない命だよ」ということを。

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私のリハビリについて話す前に、私に大きな影響を与えた姉のリハビリについて少し書きますね。
このパッチワークは私の姉の作品です。私の姉は10年以上前、1回目の脳梗塞で開頭手術をし回復してました。
2回目の脳梗塞は長嶋茂雄さんが倒れる少し前でしたが、長嶋さんと同じ「心原性脳塞栓症」と診断されました。ただ、2階にいた次女が会社へ出勤前、階下から「う~~~ん!う~~~ん!」という異様な唸り声を聞きとめ、駆け付けたところ、台所で倒れている母親を発見して、すぐ救急車を呼び、病院へ運んだのが幸いしました。病院へ着くまでの所要時間は約1時間でした。この迅速な行動が姉を右半身マヒの重症化から救う結果となったのでした。

長嶋さんは病院へ行くまで6時間の時間を経過してました。車の中でいびきをかいて寝ている長嶋さんを「疲れてるんだな」と、運転手さんはそのまま休ませておいたのでした。今も長嶋さんの右手はポケットの中です。発見が早ければと、非常に残念に思っています。

治療も進歩を遂げ、開頭手術をしないで、点滴と薬による治療でした。私がお見舞いに駆け付けたとき、右半身は麻痺し歩行困難、右手に特殊なスプーンをもって食事をしてました。

退院後、姉は思い通りに動かない、力の入らない手で包丁を持ちきゅうりを切り、薄く切ることはできないので,ゴロゴロ切られたきゅうりの酢の物や煮物をごちそうしてくれました。見ていられなくて「私がやろうか」と言うと、「マリコ、いいの、いいの、これは私のリハビリだから」と断られました。
姉はミシンであれこれを作るのも好きで、パッチワークは先生について習い、得意でした。

私は当時、よく上京してました。毎週ということもあり、その度に姉を見舞っていました。姉はあまり外へ出歩くことを「格好悪いから」と避けていました。
「姉さん。このまま家に閉じこもり、座敷牢の人になるの?恥ずかしくなんかないよ。外へ出よう」と誘うと、姉は意外に素直に地域の公民館施設で開いている、リハビリ手工芸教室へ迎えに来たバスに乗り通いだしたのです。はじめは割り箸や折り紙でできた作品を、「これ作ったよ」と部屋に飾っていました。それは幼稚園児並の稚拙な作品でした。手が不自由なのですから当然ですが、私は「よくできたね」と褒めると、姉はとても喜んでくれました。

縫ってきた雑巾は、とんでもない方向に針目が曲がり、針目も2cmもあるというものでした。「おかしいね」二人であまりの酷さに吹き出し笑いこけたりしていました。「姉さん大丈夫だよ、そのうちちゃんと縫えるようになるから」と私は励まし役に徹していました。姉は再びパッチワークをしたいという希望を持ち、雑巾作りに励みました。次第に針目が整い、やがてパッチワークにチャレンジするようになり、小さな作品をいくつも作りました。後に次女のベッドカバーも完成しました。

下のパッチワークは「6年かかったよ」と、昨年クリスマス前上京した時、羽田まで見送りに来てくれた姉が私にプレゼントしてくれたものです。「ふちを赤にするか緑にするか1年も迷ったからね」と姉は笑った。これまでになるまでの姉の苦労と負けじ魂に脱帽し、有難くいただいたのでした。

ある日、駅の階段の手すりに掴まりようやく登っていた姉を、姉が元気なとき勤めていた新宿へ「行ってみない?」と、誘ってみましが、「無理、あの人混みの中で転倒しそうで怖い」とあっさり却下されました。
それでも、品川の原美術館、竹橋の東京国立近代美術館、上野の森美術館、国立西洋美術館、東京都美術館など美術館巡りをして一緒にご飯を食べたり、買い物をしたりしていました。私たちは、きょうだいが二人でいられる時間を思いっきり楽しみました。

その日は何処をどうしたものか、道を間違い、電車を間違い、なんと二人の万歩計は13,000歩を記録してました。私たちは、疲れたけれど大いに満足し笑いあいました。「こんなに歩けた!」姉はこれを機会に自信がついて、旅行にも出かけるようになったのです。

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写真はテレビのライブ映像です。ソチ5,000m男子スピードスケート競技です。私はこれを品プリで見て、選手たちの大腿の筋肉の太さに見とれてしまいました。筋肉はパワーなんですね。パワーを爆発させて走る姿は素晴らしいですね。美しいですね。

話を「リハビリと私」に戻しますね。
私は耳のヘルペスで入院し、体中の筋肉を失い、限りなく体力を失っていたことに退院後気づきました。缶コーヒーのタブを自分で開けることができませんでした。もちろんペットボトルの蓋も無理でした。歩くと足のアキレス腱と下腿の後ろ、大腿の後ろ、足の付け根が痛みました。歩くとあんなに呼吸が苦しくハアハアしたのは、心筋も弱っていたのでしょう。
なぜこうも筋肉をなくしたのか、考えてみました。原因は微熱(37,5℃)がつづき、吐きまくったこと、栄養が取れなかったこと、天と地が逆転するめまいのためトイレ以外はほとんど寝ていたからでした。

体重は5k減っていました。脂肪や水分だけではなく筋肉と骨量が減っていたのですね。周囲の人に「マリコさん、体が小さくなったね」と、驚かれました。洋服のサイズが11号から9号に変わりました。耳の三半規管にヘルペスができた、このただ一つの病気が私の骨身を削ったのです。

人も動物です。自分たちのことをホモサピエンスなど最も優れた種と名付けていますが、野山を駆け廻って食物を得て生きてきたのですから、体を動かすということが、生きて行くうえでの基本なのですね。
頭ばかり使っていてはダメなんですね。同じく体も動かして使ってないと、脳は体のあらゆる運動器(筋肉をはじめ骨、間接、軟骨、椎間板等)を不要と認識し、動くことを節約してしまうんですね。これによって歩行障害が起こり日常生活に困難を生じてしまうのです。これをロコモティブシンドローム(通称ロコモ)といいますが、聞いたことがありますか?

ロコモは高齢者がかかる運動障害なのです。移動困難から日常生活はもちろん、社会活動が狭められ、社会参加ができなくなります。高齢者は自分の健康寿命を延ばすために、是非「ロコモ=廃用性疾患」について知識を持つことが必要だと思います。
高齢になり病気になって寝込むと、坂を転げるように障害が連鎖して起こってくることを痛感しました。恐ろしいですね。

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真冬日が続いています。玄関先で雪や風に晒され、半分凍りながらパンジーとビオラが健気に咲いてます。日差しが少しでも差し込むと太陽の光を求めて顔をあげる姿は、サバイバルして生き抜く植物の強さを感じます。

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    宮沢賢治  「疾  中」 しっちゅうより

      〔風がおもてで呼んでいる〕

    風がおもてで呼んでいゐる
    「さあ起きて
    赤いシャツと
    いつものぼろぼろの外套(ぐわいたう)を着て
    早く表へ出てくるんだ」と
    風が交々(こもごも)叫(さけ)んでゐる

    「おれたちはみな
    おまへが出るのを迎へるために
    おまへのすきなみぞれの粒(つぶ)を
    横ぞっぽうに飛ばしてゐる
    
    おまへも早く飛び出して来て
    あすこの稜(かど)ある巌(いは)の上
    葉のない黒い林のなかで
    うつくしいソプラノをもった
    おれたちのなかのひとりと
    約束通り結婚しろ」と

    繰(く)り返し繰り返し
    風がおもてで叫んでゐる

 (4)へ続く

2014-02-21 10:27 | カテゴリ:リハビリ